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zoom RSS 飛行機ネタ・ヘンだけど高性能のライト二ング(5月10日 雨のち曇り 13℃)

<<   作成日時 : 2018/05/11 02:30   >>

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今日も季節外れの肌寒さとシトシト雨が続く。

雨は徐々に止んだが、湿気寒さは終日。

暑いよりは…と思うが、エスカレートし過ぎ。

何故5月に「寒い」を連発しなければならない?

異常な低温は今日で打ち止めで一安心だが、今度は一転、平年並み以上の気温が一週間は続くと言う。

大陸から暖気を伴った高気圧に覆われる為、関東以西では週末真夏のような暑さになる可能性があると言う。

北日本も平年より2〜3℃高めの気温になり、夏日になる所も出てくるようだ。

異常気象は今に始まった事ではないけれど、極端過ぎだ。

平年より暑いと、寒気が入れば雷雨や大雨になりやすく、本格的な夏の頃には暑さより雨ばかり…になりかねない。

実際長期予報では、今年は梅雨が長く雨が多いと予想されている。

今から不安がっても仕方ないが、ゆったりと季節を味わえないものかと思う。

私もただでさえ体調不良なのに、こう肌寒さが続くと、くしゃみと鼻水が出てばかりだ。

暖かくなってようやくアレルギーから解放されたと思ったら、今頃引き戻されるとは思いもよらないと言うものだ。

風邪気味かも知れないが、朝になると毎日何故か微熱があり、1カ月前から続いている。

そろそろ母が寂しいからと、迎えに来たがっているのかなとも思うが、気候が安定しないのは身体に堪えるものだ。



飛行機ネタ。

何か道具を作ろうとする時、真っ先に考えるのは機能である事は理でもある。

しかし道具と言うものは、目的の機能を消化するだけでは成り立たない。

「使い勝手」が良くなければ、道具としては失格だ。

それは主たる使用者の主観性に拠る所が多いが、どんなに優れた機能を持っていても、使いこなせなければただのガラクタである。

戦闘機を含む軍用機の機能はシビアだ。

国と取り巻く国際情勢を見極めないと、「張り子のトラ」になってしまうし、まだ張り子であるうちは良いが、相手に見破られたらオシマイである。

旅客機ならば、エアラインに利益をもたらせる事が重要で、乗客にとって安全・快適であればよろしい。もちろん使い方が重要だけれど、その目的は単純明快だ。

しかし軍用機の目的は「国益」であり、直接利益をもらたすものではない。

間接的な目的であり、平和主義者から言わせれば「無駄遣い」に等しい場合もある。

80年代まで続いた東西冷戦は、今思えばつまらない大国同士の虚勢の張り合いに過ぎず、「万が一」の恐怖だけが「冷たい戦争」を長引かせた。

だが西側、東側に組して同盟する国々にとって、うっかりすれば「最終戦争」になりかねない状況に、莫大な手間暇をかけて軍事拡張競争を繰り広げていたのである。

そのような状況の中、各国は次々兵器を開発する事になるのだが、それは技術向上の試行錯誤でもあった。

冷戦の「最前線」はヨーロッパである。第二次大戦後、戦争を引き起こした張本人のナチス・ドイツは滅亡し、10年以上続いた戦火のヨーロッパ大陸は一応の平和を取り戻したが、今度は大戦を終結させた功労者が、ヨーロッパの覇権を競い合う事になった。

悲惨な戦火はなくなったが、政治と軍事部門では常日頃米ソのつばぜり合いを続ける事になったのである。

西側諸国の「サブリーダー」格のイギリスは、冷戦にウンザリであった。

連合国として戦勝国にはなったものの、大戦で国内の経済は疲弊し、破綻寸前であった。

17世紀以降、イギリスが唯一の「先進国」として発展したのは、経済の基盤を海外の植民地に求めたからであり、大陸から離れた島国のイギリス本土に、自力で繁栄を継続させるものは殆どなかった。

唯一北海油田や炭坑と言ったエネルギー資源が、辛うじて大国の面目を保っていたに過ぎなかった。

しかも戦後、植民地は次々と独立機運が高まっており、植民地主義は終焉を迎えた。

ツケと言うか、旧植民地の自立をイギリスは保証する義務があり、それは戦後経済復興の大きな妨げになった。

60年代、冷戦の最前線における「自由」の守りはアメリカに任せ、イギリスはサブリーダーとして補佐する以外、国力は衰えていた。

国内の復興こそ優先で、グローバルな戦略に関わる余裕はごく僅かであった。

しかし自国の防衛を怠る訳にも行かず、工業先進国の名前はもはや名前ばかりであった。

それでも「大英帝国」のプライドこそ、復興の鍵であり、冷戦時代だからこそ兵器輸出が外貨取得の手段でもあったので、様々な航空機が開発された。

だがいずれも時代に追いついた途端に先を越され、イギリスの航空機産業は息切れしていたのであった。

イギリスは「保守的」な国だと言われる。

様々な意味があるだろうが、根本には自分達が作り得たものへの「自信」がプライドに繋がっており、それを後世に残すと言う意味も強い。

「古くてもちゃんと機能しているし、これまでも上手くやって来たんだから良いじゃないか。」

イギリスのプライドの根底には、そんな気持ちが見え隠れする気がする。

時代の移り変わりは早く、その考えは「頑固」としか映らないかも知れないが、個人的には気持ちがわかるし、好感すら持てる。

機械を作ったのはイギリスである。

19世紀の産業革命は、機械が量産を築いたからだ。

イギリス人は今も産業革命を誇りとしており、例え現在が奮わなくとも、それは別問題と考える。

イギリス人にとって機械の機能は、使い勝手であることが重要であり、形やデザインは「付け足し」であり、所詮「入れ物」なのだ。

その思想は飛行機を含む乗り物に顕著に現れる。

何より中身が重要であり、外面などどうでも良いと言わんばかりに、酷く不格好なものが多い。

対照的に精密さを心情と考えるドイツ人は、全体を一体化して初めて機能すると考えるし、フランス人は見た目こそ重要と、デザインにこだわる。イタリア人もフランス人に近いだろうか。

前置きが長くなってしまったが、これから紹介したい機体は、冷戦時代に現実とプライドの狭間で生み出されたイギリスの国産機「ライトニング」である。

ライトニングは,イギリス初の超音速戦闘機である。

それまで音速機は開発していたが、50年代後半になると世界はマッハ2級がスタンダードとなり、ただの音速機は時代遅れになっていた。

アメリカは多額の費用を使って、既に50年代後半にマッハ2級の戦闘機を開発し、ソ連もまた同じだった。

加えてフランスも「ミラージュ」を開発し、イギリスだけが一歩遅れており、焦っていた。

イギリス空軍はメーカーに対し、新しいマッハ2級の戦闘機開発を要求したが、政府の動きは緩慢であった。

経済不振に喘ぐイギリスは、莫大な費用を費やす戦闘機開発に乗り気でなかった。特に野党の反発が根強く、予算要求は困難であった。

それでも空軍はメーカーと来るべき新型機の計画を進め、イングリッシュ・エレクトリック社(EE)が研究を進めていた「P.1A」という研究機を進化させることにした。

EE社は戦時中ドイツの研究なども参考にして、超音速機の研究を進めていた。

空軍はマッハ1.4程度で良いと考えていたが、EE社はマッハ2が可能であるとした。

EE者の研究機「P.1A」は、高速を出すために機首に空気取り入れ口を置き、エンジンと一直線になるような機体を作った。

更に高速を出すために、胴体は極力細く抵抗を少なくし、主翼も後退角を極端にきつくそして薄くすることにした。

当時はコンピューターも、模型を使った風洞実験設備もなく、いきなりの実機でテストした。

幸いP.1Aのテストは順調で、エンジンはアフターバーナーのない既存のエンジンを搭載していたが、緩降下出音速を突破し、飛行特性は良好であった。つまりEE社の設計理論は正しかったのである。

結果を踏まえて、政府はようやく開発許可を与えることになり、EE社を主契約者として正式に開発を命じた。

そして1957年「ライト二ング」の原型機が初飛行し、多少の手直しの後直ちに量産されることになった。

とにかく超音速機で大きく遅れを取っていたイギリスにとって、多少マイナス要素があったにせよ、機数を揃えてソ連の脅威に備えなければならなかった。

イギリスは島国で、ワルシャワ条約軍が国境を越えて侵入してくる心配はないが、海と空は完全に開けており、空軍力と海軍力は必要不可欠であった。

しかもソ連空軍は長距離戦略爆撃機を多数保有しており、北海からイギリス本土に近付くソ連機は日常茶飯事だった。

ライト二ングの最初の量産型「F.1A」は、いざ出来てみるとなんとも言えない「不格好」な戦闘機であった。

更に広大な海域を防衛するため、要撃機は海上飛行が殆どであり、高速とともに双発機が望ましかったため、ライト二ングは双発だったが、2基のエンジンは何と「縦置き」に配置されていた。

EE者の理論で、通常の並列配置にすると1基が故障などで「片肺」になった場合、稼働している側に強いモーメントが発生し、不安定になるが、縦置きならばその心配は全くなかった。

また縦置きエンジンは胴体を捕捉できるため、高速飛行には適した形に出来た。

機首の大きな空気取り入れ口は、整流の為の「ノーズコーン」がつけられ、中にレーダーを収めている。

主翼はきつい後退角と言うより、ミラージュなどの「デルタ翼」の内側を切り取ったような形で、胴体後部には水平尾翼が付いている。

デルタ翼は高速に適していたが、高揚力装置がつけらられないため、離着陸速度が速く、急激な旋回を繰り返すと失速してしまう特性があった。

そこでEE社はデルタ翼の高速性と、弱点を解消するためにこのような主翼にしたのである。

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         ↑イギリス空軍のライト二ングF.6(ウィキペディアより)

研究を重ねた結果ではあったが、追求しすぎたせいで燃料や武装を搭載するスペースがないと言う本末転倒な結果も生みだしていた。

ライト二ングは胴体は細いが、上下方向には妙に「太い」。すなわち正面から見ると完全な楕円形になっている。

燃料タンクのスペースが胴体上半部に取れず、仕方なく下部に設置した。

胴体の下部のふくらみは「燃料タンク」である。

普通なら主翼の中に燃料タンクを儲けるが、ライト二ングの後退翼は高速を追求するあまり薄くなっており、加えて主脚を収めなければならなかったので、燃料タンクを入れる余裕は全くなかった。

横幅の細い胴体に主脚を収納できず、主翼自体が胴体の真ん中に位置する「中翼」なため、主脚は長くせざるを得なかったので、それを収めるだけで主翼は精いっぱいだった。

薄くあまり強固でない主翼に、これ以上負担はかけられず、ミサイルなど武装すらつける余裕がなかった。

結果初期のライト二ングは、胴体前方下部に中射程のミサイル2基を積むだけで、完全な「インターセプター」であった。

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        ↑最初の量産型、ライト二ングF.1(ウィキペディアより)

エンジンは当時としては、かなりのハイパワーを誇るアフターバーナー付き「ロールス・ロイス・エイボン」ターボジェットを上下に重なるように付けられ、効率をよくする為に前後にずらして取り付けられている。

ただし胴体がタイトなため、整備のための取り外し・取り付けは尾部から抜き取る事しか出来ない。

防空のための役目としては、非常に有効な機体ではあった。

エイボンエンジンは優秀で、ライト二ングの最高速度はマッハ2.2と、世界でもトップクラスの高速を出せた。

これならば接近してくる「敵」に、何より早く迎え撃つ事が出来るし、あくまで「要撃」が任務なので、ミサイルも2発あれば防空任務は果たせるようであった。

イギリス空軍は取りあえずライト二ングの性能に満足し、すぐに改良も開始した。

抵抗を減らすため垂直尾翼の面積と高さを変更し、エンジンもパワーアップさせた「F.2」に切り替え、この型は大量生産型になって同空軍の主力になった。

F.1は胴体下部に30ミリADEN砲を固定装備していたが、続くF.2とF.3は機関砲を廃止された。

これは初期型が装備する空対空ミサイル「ファイアーストリーク」ミサイルの射程が短かったためで、F.2以降はより射程の長い「レッドトップ」に切り替えられたためだ。

このミサイルはライト二ング専用に作られたもので、赤外線追尾とレーダーホーミングを組み合わせた方式の新型ミサイルである。

更にエンジンのパワーアップされたF.3は、胴体下部の燃料タンクを若干大型化させた。

しかし高速であるがゆえに燃費は悪く、侵入機に対する空中哨戒は出来なかった。

航続距離の短さは、任務を限定させて姉妹ライト二ングの融通性を削いでいたのである。

メーカーのEE社は60年にBACの合併していたが、同社は構造を強化した改修型を作ることにした。

それが最終生産型となる「F.6」である。

[F.6」は主翼桁の構造を強化したことで重くなり、最高速度が若干低下したが、増槽をつけられるようになった。

1枚目の写真にあるように、なんと増槽は主翼の「上」である。

主脚を収める以上、下にはどうしても付けられず苦肉の策ではあったが、これで航続力不足は何とか解消された。

またその特殊な形状から、ライト二ングの操縦は難しいとされ、複座の練習機も作られた。

本来機種転換のための練習機は、座席が前後に並ぶ「タンデム式」が望ましい。

しかしライト二ングの胴体は、述べて来たように限界ギリギリであり、バランスの点からも座席を追加する事が出来ず、「並列」にしてしまった。

速度を出すために細くした胴体なのに、複座型はわざわざコクピット部分だけとは言え太くせざるを得ず、まさに本末転倒だったが、現場では意外にも好評であった。

並列座席なので教官と訓練生のコミュニケーションが取りやすいだけでなく、ど知らの座席でも前方が良く見えて操縦に支障はない。

また当時の複雑な迎撃レーダー操作訓練も、並列座席の方が指導しやすかった。

膨らませた胴体はさすがに抵抗を増やしたが、飛行特性には影響が出ず、練習機である以上速度が犠牲になるのはマイナス点にはならなかった。

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    ↑複座練習機型のライト二ングT.6(ウィキペディア英語版より)

実戦機の複座型で並列座席を持つのは、このライト二ングだけである。

並列座席と言うと、アメリカ・ロシアの長距離攻撃機「F-111アードヴァーク」「SU-24フェンサー」「SU-34フランカー」、小型練習機「T-37」がある程度で、例は少ない。

単座型から並列複座に発展したのはライト二ングとSU-34だが、後者は胴体自体を丸ごと設計し直した攻撃機であり、ライト二ングは仕方なく、そして無理やりと言う感じだ。

F.6ではパワーに余裕が出たため、固定武装である30ミリ機関砲が復活した。

また残存していたF.2/F.3も、主翼上に増槽が付けられるように改修された。

だが制限いっぱいのライト二ングの発展は、このぐらいが限界であった。

70年代後半になると、ライト二ングの性能はもの足りなくなって、全体的に旧式化し始めていた。

前方に空気取り入れ口があるため、エンジンへの空力性は優れていたが、同時にノーズコーンを大型化できないため、レーダーの換装が困難であった。

胴体も余裕がないため、新しい時代に対応する電子装備や火器管制装置が載せられず、道具を更新・増設出来なかったのだ。

それは日増しに旧式化する事を意味していた。

イギリス軍の経費削減は、20年経っても改善せず、政府は予算を年々削減する一方で、ついに海軍の空母を廃止に追い込んだりと、機材の更新は望めぬ状況にあった。

ちょうどフランスとの共同開発で、新型攻撃機「ジャギュア」が成功した事もあり、戦闘機も共同開発の道を探ることを考えたが、タッチの差で「多目的機ト‐ネード」に先を越されてしまう。

当時「MRCA」計画(MultiRoll Conbat Aircraft)が、イギリス・イタリア・ドイツ・スペインで立ちあげられ、初めて1機種で戦闘・攻撃・偵察など多目的をこなせる新型機の開発が始まろうとしていた。

のちに「ト‐ネード」となる計画だったが、イギリスのBACも参加しており、少ない予算を回されてしまっていた。

しかしMRCAが実用化するのは80年代後半であり、それまでのイギリス空軍はライト二ングとジャギュア、VTOL機のハリアーしかなく、迎撃機はライト二ングしかない。

そこで止むを得ずアメリカ製の「F‐4ファントム」を購入する事にしたのである。

また輸出も狙っていたライト二ングだが、融通性がないのがネックとなり、全く振るわず中東のサウジアラビアとクウェートが導入しただけだった。

ライバルのフランスは「ミラージュV」「ミラージュX」を、20カ国以上売り、アメリカのF-104 、F‐4なども西側諸国で多くの国に採用されたのに対し、イギリスが初めて作ったマッハ2級の高速戦闘機はウケなかった。

サウジアラビアは比較的まとまった数を導入したが、小国クウェートは1飛行隊分だけで、外貨を稼ぐには程遠い数字だった。

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    ↑サウジアラビア空軍のライト二ングT.55(ウィキペディア英語版より)  



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       ↑クウェート空軍のライト二ングF.53(ウィキペディアより)


ライト二ングは88年まで少数機が現役に合ったが、それは後継機の「ト‐ネード」の配備が遅れたからである。

それまでの間老朽化したライト二ングの初期型F.2/F.3の代わりに、「ファントムFG.1/FGR.2」が引き継いだが、全てのライト二ングを変える機数がなかったため、最終型のF.6が最後まで現役を続けた。

90年前後にようやく「ト‐ネードADV」が配備され、ライト二ングは退役したが、パイロットには新型機の方が不評だったと言う。

ファントムもト‐ネードも、ミサイルは最大8発搭載でき、ライト二ングの実に4倍の戦力を持つ。

ファントムに固定武装はなかったが、数百発の弾薬を持てる20ミリバルカン砲ポッドが搭載出来たし、ト‐ネードは27ミリ砲を固定装備していた。

また時代にふさわしい強力なレーダーを持ち、火器管制装置やデータリンク装置も持っていて、ライト二ングとは比べ物にならなかった。

だが両機種とも「複座」であり、エンジンはターボファンで、ダッシュ力は弱く、高高度での速度もイマイチだった。

実は上昇性能と言う点でライト二ングはファントム・ト‐ネードはもちろん、アメリカの最新鋭機「F‐15イーグル」より遥かに優れていたと言う。

外観からはとても信じられないが、妙な形とも言える後退翼は、意外にも高速性能とともに運動性の良さももたらぃて織り、ライト二ングは低空でも高空でも運動性が驚くほど良かった。

訓練ではファントムやト‐ネードだけでなく、アメリカ空軍のF‐15を追いまわして「撃墜」した事が何度もあったと言う。

もちろん手練れのベテランパイロットが操るからこそだったが、それでもあのぼてっとした形に惑わされ、油断すると「撃墜」されてしまう。

強力なエンジンと、バランスのいい「縦置き」は見た目は悪くとも間違いではなかった、と言う事だ。

パイロットたちは、ライト二ングから新型機に乗り換えるのを嫌がる者が多かった程であった。

最もライト二ングは航空大国」だったイギリスが、苦しい状況を耐えつつ開発した「純国産機」であり、愛国心の強いイギリス人には思い入れも大きかったのだろう。

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    ↑ライト二ングF.3。特徴的な主翼形状と膨らんだ「下腹部」が良く分かる(ウィキペディア英語版より)

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    ↑70年代のスタンダード塗装のライト二ングF.3(ウィキペディア英語版より)


振り返れば、原型初飛行は57年。今から60年前の事だが、皮肉にもイギリスが「自主開発」したマッハ2級超音速機は「ライト二ング」が最初で最後になってしまった。

イギリスがプライドを保ち続けるには、心構えの変更が必要で、それはエンジンなど部品だけでも作り続ける事であった。

「エンジン発祥」の国でもあるイギリスは、現在も「ロールス・ロイス」がジェットエンジン・タービンエンジン製造ではトップメーカーである。

また、ライト二ングが装備した「エイボン」は、超音速旅客機「コンコルド」の「オリンパス」エンジンの原型になっただけでなく、船舶用タービンエンジンとして現在も生産が続けられている。

更に同時期スウェーデンが開発した「サーブ35ドラケン」も、エイボンをライセンス生産したものを搭載している。

超音速がまだまだ未知数だった50年代に、独自の研究で成功させたライト二ングだったが、マッハ2と言う高速性を重んじるあまり、出来上がって見れば欠点も多かった。

先に書いたように飛ぶことに関しては良く出来ていたが、それを「使う」ことに関しては失敗作だったと言えなくもない。

戦略には合致していたが、現実での戦術には合致せず、「理想」を追求しすぎたと言える。

高速性と燃費の悪さは反比例なのに、燃料を積めず、戦闘機なのに武装は少ない。

改良したくとも物理的余裕がない。

若干性能を落としても、大きく発展できる余裕を設計段階で持たせるべきだったのに、試行錯誤だったとは言え、追求した結果キチキチの飛行機になってしまった。

「使い勝手」を同時進行させなかったのが、ライト二ングの融通性を持たせずに終わってしまった。

最も大戦中から、それがイギリス機の特徴でもあった。

一つの目的に優秀だと、他の目的が犠牲になっている。

加えて時代に合わせる、と言う事もあまり意識しないため、気がつくと「時代遅れ」になっている事が多かった。

保守的と言えばそれまでだが、50年代まではそれが当たり前だった。

ジェット機時代を迎え、各国は研究を重ねてすぐに後退翼など、高速化に走ったが、イギリスだけは違った。

イギリスはドイツの並んで、ジェット機を初めて実用化した国の一つだが、複雑で工作も難しいが、高出力で高速に適している「軸流式」を選ばず、頑丈で構造の単純な「遠心式」を選んでいた。

しかし遠心式エンジンは円形の直径が大きく、高速化は難しく、エンジン自体非常に重かった。

アメリカ・フランス・ソ連は、最初こそ遠心式を選んだが、すぐに軸流式に切り替え、早々に音速の世界を掴んでいた。

しかしイギリスだけは、完成された確実な遠心式にこだわり、遷音速機がやっとであった。

空力研究も一歩遅れており、ライト二ングでようやく水準に達したのである。

しかし技術と政治は水と油で、経済不振を消去できない政府と、軍の要求は最後までかみ合わず、ライト二ングはまさに「稲妻」のように、消えて行ったのである。

それにしてもパッと見で、ライト二ングが高速で運動性が良いとはとても思えない・・と言ったら失礼だろうか。

突きつめた結果の形態とは言え、燃料タンクのふくらみはどう見ても「メタボ腹」に見えるし、空気取り入れ口は前近代的だ。

苦肉の策とは言え、増槽を主翼の上に載せる飛行機は他になく、何より不格好としか言い様がない。

デルタ翼を「ハサミ」で切り込んだ様な主翼に、無理やりつけたフラップやエレボンは効きが割るそうだし、なぜ「中翼」にしたのか、と首を捻ってしまう。

肩持ち翼化通常の低翼だったら・・・と思ってしまう。

ファンであれば「いかにもイギリス機らしい」と言うだろうが、そうでなければ「ヘンな飛行機」の仲間だろう。

これがマッハ2以上出る・・と言われても、「うっそ〜」と返されそうだ。

イギリスにしてみれば、目標の性能を着実に出せれば言いわけで、外観などどうでも良いのだ、中身が獣医王なのだ・・・と言う事だろう。

美しく出来る物はより美しくなければならない・・・なんて哲学を持つフランスやイタリアから見れば、ナンセンス以外なんでもないに違いない。

ファンには申し訳ないが、同時代の機種と比べると、ライト二ングは残念ながら「不細工」な方だと思う。

能ある何とかは・・・なのだけど、イギリス機らしい妙な飛行機であることは確かだ。

蛇足だが「ライト二ング」と言う名前の飛行機は、これを含めて3機種ある。

最初は第二次大戦中、アメリカが開発したプロペラ機で、「ロッキードP-38ライト二ング」。当時としては珍しい双発・双胴機で、日本やドイツから「双胴の悪魔」と恐れられた重戦闘機。

もう一つはステルス戦闘機「ロッキードF‐35ライト二ングU」。

そう、今日本にも「ライト二ング」があるのだ。

共通しているのは、どれもデザインが「ヘンな飛行機」の類で、それがこの名前が持つ宿命なのかも知れない。


寒い・・・いくらなんでもそう思う。

私が異常なのか・・・気温は10℃前後で、どう見てもおかしい。

街では既に初夏の格好の女の子が増えており、ミニスカート・ショートパンツで生足・・・。

いくら若くても、今日は殊更寒いのではないか?と、セクハラオヤジは思うのである。

寒そうにしてないけれど、絶対冷えるだろ・・・と思う。

明日以降はホッとするだろうが、やせ我慢する事もまた、あるまい。

夜には晴れて、数日ぶりに星が見えたが、同時に放射冷却になって、気温は一ケタになりそう。

明日朝、彼女たちはまたも我慢して生足を出したまま出かけるのだろうか?

いい加減しつこい(笑)。

かと言って、この寒さの後に急に暑くなる・・と言うのも最悪だろ思う。

いつしか体の「0」調節は、春と初夏モードになっていたから、この数日の肌寒さはきつい。

同時に突然夏日と言われても、大いに困る。

服装には悩ましい。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

寒さは大丈夫ですか?

明日以降、肌寒さは解消しそうですが、同時に気温差が体に障ります。

体調管理には注意して下さい。

君も服装には困っていそうです。

昼間は気温が上がっても、朝晩は寒い様です。

薄着のままで外出せず、邪魔かもしれませんが必ず上着や羽織る物を持って出かけて下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。




暇無み 来ざりし君に ほととぎす 吾かく恋ふと 行きて告げこそ(万葉集巻八 1498 大伴坂上朗女)



☆今日のバス

291号車 99年式日野ブルーリボン(HU2MMCA) 泉営業所(元名古屋市交通局)


元名古屋市交通局のブルーリボン。車内のアコモディーションに、違いがある。

この291号車は座席数の多いハイデンシティ仕様で、シートは同じだがピッチが狭い。

またエアコンダクトの形状が違い、パイプ式の荷物棚が付いている。

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