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zoom RSS 飛行機ネタ・未来の戦闘機だったF-104(5月13日 曇り時々雨 20℃)

<<   作成日時 : 2018/05/14 02:41   >>

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今日は朝からベッタリした曇り空で、時々小雨がぱらつくすっきりしない空模様だった。

気温は平年並みだが、湿気っぽい。

5月は晴れれば乾燥して爽やかだが、沖縄と奄美地方は梅雨入りしており、ベタベタ湿気っぽい季節は目の前だ。

今日は市内中心部で毎年恒例の「青葉まつり」が開催されたはずだが、珍しくパッとしない天気の下での開催だっただろう。

案外晴天率が高い祭りなのだが、今年はそうならなかった。

泉中央に出ると、夜になっても買い物客で混雑していた。

何だかんだ言っても、結構有名な「青葉まつり」だから、見に行った帰りの人もいたのだろう。

だがそれ以前に今日は「母の日」で、特設売り場ではカーネーションを含む花がたくさん並んでいたし、何故かスイーツ店に行列が出来ていた。

どうやらケーキをお母さんにプレゼントする、と言う事らしい。

母の日は「心」だから、食べ物のプレゼントも良いだろう。

セルバテラスのレストラン街も、結構遅い時間まで空き待ちの行列が出来ていたから、家族連れでお母さんやおばあちゃんを囲んで食事するのだろう。

私も一昨年までは例え貧乏でも、母の日のプレゼントは欠かさずしていた。

二人暮らしだから、大したことは出来ないけれど、やはりケーキを買ったり、小物を買ったり。

まあ私の押し付けなので、母は手放しでは喜ぶとは限らなかったけど。

せっかくご主人や子供達が母の日を祝うと、「それさえやれば、あと一年苦労させても良いってか?」なんて逆ギレするお母さんがいるらしいが、お母さんにしか出来ない事はたくさんある訳で。

お母さんは老いも若きも、いつもたくましい。

ボヤキながらも、家族の為に手を抜く事はしない。

いて当たり前、やってもらって当たり前…日常ではついそう思ってしまうけれど、口には出さずともありがたいなあ、と言う気持ちは毎年持とう。

不思議なもので、お母さんとは不死身のスーパーレディみたいに思い込んでいる。

何でも出来るし、例え口やかましくても、やるべき事は絶対手を抜かない。

だから突然体調を崩されると、家族はうろたえる。

心配はもちろん、家事の事は誰もわからないから。

もしも…不安がよぎる。

でもいつか必ずお母さんは「引退」の時が来る訳で、元気なうちからきちんと見守っておこう。

昨日花屋で仏前に供える花束を買ったら、菊の他にカーネーションがついていた。

今年の母の日は、これで勘弁して下さいな。



飛行機ネタ。

ロッキードF-104スターファイター。

飛行機ファンなら、一度は聞いた事がある名前だろう。

既に過去帳入りした飛行機だが、今なおファンには根強い人気がある。

F-104はアメリカ・ロッキード社が開発したマッハ2級の戦闘機で、ジェット創世記数々の傑作機を設計した同社の主任技師ケリー・ジョンソンの自信作である。

彼は新型のマッハ2級戦闘機の開発に着手し、独自の理論で開発。

原形機は1954年に初飛行した。

その機体の姿は、当時誰もが目を疑うような、斬新で未来的なスタイルであった。

既に世界は音速時代を迎えていたが、僅かに超える程度で、音速の2倍と言うのは卓上の理論の域を出ていなかった。

ジョンソンは超音速に適した機体とは、徹底した「抵抗」の排除が必要として、設計を続けた。

胴体はこれまでにないくらい細く、機首はまさに「音の壁」を破るかのごとく尖っており、エンジンへの空気取り入れ口は胴体横に分割され、中には衝撃波による障害を打ち消す「ショックコーン」が取り付けられていた。

世間が驚いたのは,主翼であった。

高速を出すには、抵抗を減らす「後退翼」が適している事は知られていたが、Fー104の主翼の後退角は僅かで、ほぼ直線翼に近かった。

ところが主翼自体の長さは極端に短く、厚みが極限まで減らされていた。

主翼の前縁に至っては、僅か1ミリにも満たない鋭利な刃物のようで、まるで1枚の金属板をいくらか曲げてつけたような、常識を覆す物だった。

ジョンソンは後退角では強度を持たせるために、主翼自体の構造が複雑で重くなると考えており、必要最低限の「揚力」さえ発生すれば役目は果たせると考えたのだ。

また細長い胴体の中央部は、少しくびれており、超音速理論にもとづいた「エリアルール」を踏襲した。

水平尾翼は垂直尾翼の上についた「T型尾翼」だが、これは小さな主翼の揚力を妨げない措置だった。

エンジンはGE社が新しく開発した「J79」ターボジェットエンジンで、当時最も大型で大出力のエンジンであった。

「J79」は新開発のエンジンで、F-104に初めて搭載されたが、後の主力戦闘機「Fー4ファントム」にも使われ、現在も世界中で現役にあるターボジェットエンジンの傑作だ。

小型軽量の機体に大出力エンジンこそ、超音速機の最大ポイントであり、試験飛行ではたちまちマッハ2を突破。

宣伝を兼ねた各種トライアルに参加し、速度・高度のワールドレコードを全て塗り替えた。

そのスタイルはちょうど迎えつつあった宇宙開発時代とだぶって、もはやジェット戦闘機はこれ以上の発展はなく、「最後の有人戦闘機」ともてはやされた。

つまり究極のジェット戦闘機であり、今後は無人のロケットやミサイルしかないと思わたのだった。

冷戦時代の西側諸国は、このSFの世界のような最新鋭戦闘機に色めき立った。

速度と高々度性能は、脅威となるソ連の戦略爆撃機への最大の防空戦闘機に相応しく、機首に装備された「NASARR」レーダーは、当時としては最高の性能を持つ迎撃管制レーダーであった。

アメリカの防空システムに合致させたレーダーは、地上のレーダー管制と空中の早期警戒機とのデータリンクが可能で、世界で初めてデータリンク機能を持つ戦闘機だった。

対抗するソ連は、こうした電子システムの開発が遅れており、西側はFー104で東側に一歩リードする事が可能になったのである。

アメリカはF-104を同盟国に積極的に輸出する事を許可し、一部の国には最初からライセンス生産の許可も与えた。

これだけの高性能機をいとも簡単に輸出したのには、実は理由があった。

新しい時代の戦闘機として相応しいF-104だったが、実際にはアメリカの戦略思想に合致しなかったのである。

あまりに究極を求めすぎたF-104は、融通性にかけるとアメリカ空軍は見ていた。

当時アメリカの防空戦略思想は、北極圏を集団で飛び越えて来る多数のソ連爆撃機を想定していた。

その為迎撃する戦闘機は、大型のミサイルを複数搭載し、1機で少しでも多くの爆撃機を領空内に侵入する前に撃墜する事であった。

その為50年代のアメリカ空軍には「空対空核ミサイル」と言う、狂った兵器までまじめに装備されていた。

これは戦闘機に戦術核弾頭を装備したミサイルを搭載させ、編隊で侵入しようとするソ連機の「ど真ん中」に打ち込んで、一度に何十機を「殲滅」させようとするものであった。

最も放射能を広範囲にばらまく事になるので、配備は僅かな期間だけで廃棄されたが、それだけソ連爆撃機はアメリカにとって脅威だった。

ゆえに「迎撃戦闘機」は多少運動性が悪くとも、高速かつ大量の兵器を詰める事が重要だったのである。

しかし初期のF-104は、確かに高速で出現当時は最も速い戦闘機の一つではあったが、例を見ない小さな主翼に武器は搭載出来ず、胴体前方下部の固定武装である20ミリバルカン砲の他、胴体下部に近距離用のミサイルが2基しか搭載できなかった。

局所的な防空任務では充分だったが、アメリカ本土を守るにはどう見ても不足であった。

また絞られた胴体は燃料搭載量も少なく、行動半径はごく限られてしまい、とても防空任務を果たす事は不可能だった。

ロッキード社は最初の生産型「A」型でそれらの欠点を指摘されたため、すぐに改修型を提案。生産が認可された。

「C」型は多少重量が増えるのを覚悟で主翼の構造を強化し、パイロンを取り付けられるようにした。

また燃料不足を補うために、主翼端に増槽を取り付けられるようにした。

この増槽は取り外しは出来るが、飛行中に切り離しは出来ない。

増槽をつけない場合は、ミサイルを取りつけられ、これまでの2発から4発に増やす事が出来たが、中射程のミサイル「AIM-4ファルコン」や開発中だった「AIM−7スパロー」は搭載できない。

加えて「後付け」の空中給油ロッドをオプションで取り付けられるようにされ、航続距離の短さは「一応」解決することになった。

アメリカ空軍は58年からA型とC型および複座型のB型などを配備したが、防空軍には「F-102デルタダガー」「F-106デルタダート」と言った防空専用機を開発したので、F-104は戦術航空団と州空軍だけに配備された。

60年代には少数のC型がベトナム戦争に派遣されたが、ベトナムでは地上攻撃が主体で、操縦性が悪く搭載量の少ないF-104は役に立たず、早々に本国へ引き上げられている。

60年代に入ると「F-4ファントム」の本格的生産が開始され、F-104は次第に予備役に回され、70年代前半にはアメリカ空軍から退役した。

アメリカでの評価はあまり良くなかったF-104だが、NATOを含む同盟国ではマッハ2級と会ってこぞって導入し、14カ国が主力として配備した。

欠点はあったものの、アメリカほどシビアな要求はなく、何より高性能の「全天候戦闘機」を持てることが重要だった。

特に悪天候の多いヨーロッパでは、有事に動けない昼間戦闘機では役に立たない。

アメリカは開発費用の回収目的もあって、同盟国に対しどんどん売っただけでなく、ライセンス生産も奨励した。

F-104はカナダ・西ドイツ・オランダ・ベルギー・デンマーク・ノルウェー・イタリア・スペイン・ギリシア・トルコ・ヨルダン・パキスタン・台湾・そして日本の航空自衛隊が採用した。

上記でわかる通り、NATOの主要国の殆どが採用したと言う事は、いかにF-104が当地で望まれていた機体であるかをうかがわせる。

このうちカナダ・イタリア・オランダ・西ドイツ・ベルギー・日本が自国でライセンス生産を行い、NATO3カ国は他国へ輸出もしている。

これはアメリカが運用を縮小・停止の方向に傾いていたためである。

特にカナダの生産拠点「カナディア」社は、ロッキードが生産縮小に走った代わりに、輸出向けの機体の生産を担うようになり、70年代以降の新造機の殆どはカナディア製の「CF-104」である。

海外向けのF-104はエンジンのパワーアップ・主翼・脚の強化、燃料タンクの増量などが改修された「G」型で、以降F-104の主力型になっている。

カナディア製の「CF-104」も基本仕様はG型と同じだ。

こうして60年代後半からF-104はNATOの主力機となり、防空だけでなく「攻撃機」としても使われる事になった。

低空飛行での機動は、F-104にとって全く逆の事であったが、高速性と小型で発見されにくいと言う点から、カナダ・西ドイツ・オランダ・ベルギーなどは攻撃機としての任務も帯びることになった。

特にヨーロッパに駐留軍を派遣していたカナダ国防軍は、NATO軍として戦術核攻撃の任務を担当しており、四肢ドイツ空軍も同様であった。

西ドイツ空軍では機体の供与とともに、F-104搭載用の戦術核爆弾も「貸与」されていたほどである。

しかしアスペクト比が極端に小さいF-104は、低空での飛行は予想されたとは言え困難を極め、事故が多発した。

一方同じNATOでもイタリアやスペインは、純粋な防空・要撃機として運用した為、カナダや西ドイツほどの事故は起こしていない。

スペイン空軍は僅か18機を約10年間Yん要しただけだったが、事故による損失は1機もなかった。

イタリアでは当初ロッキード社からの「G」型を輸入したが、60年にライセンス生産していた「FIAT」社が独自の改修機を生産し、「S」型として空軍が採用した。

数あるF-104の中で「S」型は、際立っていた。

それは最大の欠点の一つだった武器バリエーションの少なさを、解決したモデルだったからだ。

FIAT社はレーダーを大幅に改良し、レーダーホーミング式の「AIM-7スパロー」ミサイルを運用できるようにした。

更にエンジンもパワーアップさせたため、空気取り入れ口の大きさが若干増えた。

既存のG型も、エンジンはそのままだがレーダーと火器管制装置がS型と同じ物に換装されたが、80年代にはG型を引退させ、S型だけを運用した。

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        ↑イタリア空軍のF-104S/ASA(ウィキペディアより)

他国の機体は時代に合わせた小改修に留まっており、イタリアのS型だけが唯一独自の進化を遂げたF-104である。

S型は「AIM-7」スパローを主翼に最大4発搭載でき、従来通り胴体下部に「AIM-9サイドワインダー」2発も搭載出来た。

つまりこれまで最大4発の短射程ミサイル「AIM-9」しか積めなかったのが、一気に中射程の「AIM-7」4発と「AIM-9」2発と言う、現代機の水準まで増量したのである。

最も6発をフル装備すると抵抗が大きくなるので、イタリア空軍ではAIM-7とAIM-9をそれぞれ2発ずつ、と言う形態が標準だったようだ。

それでもそれまでの当機からは考えられないほどの、戦闘能力向上型と言えた。

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     ↑主翼端にAIM-9を装備して計6発のミサイルを搭載したF-104S(イタリア空軍提供)


イタリア空軍は80年代になると、F-104を更にグレードアップさせる事にし、国産の新型ミサイル「アスピデ」を搭載できるように改修した。

「アスピデ」はAIM-7スパローを発展させた、ハイブリッド型の中射程ミサイルで、F-104の胴体内に専用のイルミネーターを追加した。

「アスピデ」は、のちのAIM-120AMRAAMに繋がる、「撃ちっぱなし」が可能の「視程外ミサイル」である。

運用には目標をロックオンし、ミサイルに記憶させる装置が必要だが、現在に至るまで必須の空対空兵器でもある。

改修された機体は「ASA」の略号が付加されており、機首の20ミリバルカン砲は下ろされて、その部分にミサイル管制装置が積まれている。

保有する全ての機体には改修されておらず、バルカン砲を装備したままの機体もあった。

驚くのはイタリア空軍のF-104Sは、2005年まで現役にあった事である。

これはF-104を迎撃機としていたからだが、イタリア空軍は後継機として国際共同開発の「ユーロファイター¥ターふーん」を充てる予定だった。

しかし同機の開発は遅れに遅れ、老朽化したG型がそれを待たずに退役してしまったため、S型を使い続けたのである。

それでも機数が足りなくなったため、90年代にアメリカから「F-16ADF」をリースと言う形で導入して穴埋めしたが、9年のリース期間終了後、イタリアは全機を返還した。

F-16は現在も生産中で、採用国は30カ国に迫る勢いを持つが、退役させた国はイタリアだけである。

F‐16よりも、国産のF-104Sの方が使い勝手が良かったらしく、結局退役したのは「タイフーン」の就役を見届けてからだった。

イタリア空軍ではG型の派生形として、偵察機型の「RF-104G」も生産し、配備している。

アメリカでは偵察型は使用しなかったが、イタリアの他オランダの「フォッカー」社が、FIATと協力の下生産している。

「RF-104G」は、胴体下に専用のパイロンを取りつけ、偵察ポッドを吊り下げる方式だが、専用の戦術偵察機としては高速で有能だった。

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       ↑イタリア空軍のRF-104G(ウィキペディアイタリア語版より)


オランダではライセンス生産した「NF-5Aフリーダムファイター」を「RNF-5A」に改造していたが、小型で偵察機材は機首にカメラを装備するだけの簡易型であった。

RF-104Gの偵察ポッドは、数種類のカメラを組み合わせる事が出来、水平戦より向こう側を撮影できるパノラミック昨日もあるほか、同型ポッドで「SLAR」測視レーダーに変更もできる。

オランダでは後継機種F-16が就役した為、国産機「NF-104G」は退役したが、RF-104Gはしばし現役にあった。

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     ↑オランダ空軍のRF-104G(ウィキペディアより)


最も大量のF-104を使用したのは西ドイツで、追加導入を含め87年の全機退役まで916機と言う、けた外れのF-104を使用した。

西ドイツは空軍だけでなく、海軍も使用した国で唯一「ネイビースターファイター」を運用した。

西ドイツは前述のようにNATOの最前線として、特殊な運用が充てられており、F-104Gは殆ど地上阻止任務、すなわち地上攻撃機として使われ、海軍機はバルト海での対艦阻止任務に就いていた。

一部防空任務に就く部隊はあったが、大半が攻撃機としての舞台であり、一部は「極秘任務」として核攻撃の仁M中を帯びていた。

西ドイツがこれだけのF-104を運用した背景には、事故率の高さがあった。

任務上、高度数十メートルと言う超低空を高速で飛ぶ必要があったためだ。

海軍機も、大型の国産対艦ミサイル「コルモラン」を無理やり搭載し、海面すれすれを飛ぶと言う、ただでさえ危険な飛行を強いられたため、事故が多発し、殉職したパイロットは運用25年の間に100人以上のも上った。

その為「ウィドーメーカー」(未亡人製造機)などと、忌み嫌われるようなあだ名が付けられていた。

西ドイツでは危険な飛行を伴うので、導入したF-104Gの一部をアメリカに持ち込み、アメリカ空軍に訓練を委託して、新人パイロットを徹底的にF-104の操縦を叩きこんだと言うが、それが逆に事故率を高めたと言う。

技量が上がったパイロットは、自信過剰となって無茶な飛行をするようになってしまったと言う。

地上数メートルまで下がって飛行し、樹木と衝突したり、機体を破損させる事故が多発したのである。

海軍機では霧など、視界が悪い状態での低空飛行で墜落する事故が多かった。

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         ↑西ドイツ空軍のF-104G(ドイツ空軍提供)


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        ↑西ドイツ空軍のF-104G(ウィキペディアより)


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     ↑対艦ミサイル「コルモラン」を搭載した西ドイツ海軍のF-104G(ウィキペディアより)

そうした理由から西ドイツは損耗分を追加し続けたのであって、国内メーカー「MBB」社製の他、ロッキード製・カナディア製の機体も含まれている。

最も生産したのはカナダだが、カナダ国防軍が使用したのは238機。

同軍機は完全な「攻撃機」として使用され、80年代前半までは殆どがドイツに駐留する部隊に配備され、こちらも核攻撃の任務を持っていた。その後通常の攻撃任務に転換されたが、防空・要撃任務には一度も回された事がなく、写真などでも空対空ミサイルを搭載した「CF-104」はない。

画像
          ↑カナダ国防軍のCF-104(ウィキペディアより)

カナダ国防軍も西ドイツと同じく、事故率が高く導入した238機のうち、実に110機が事故で失われており、損耗率が50%に近い。



アメリカ以外の使用国と機数を上げてみる。カッコ内は退役年。


オランダ…138機(83)

カナダ…238機(86)

ノルウェー…39機(83)

トルコ…439機(95)

スペイン…21機(72)

ギリシア…118機(93)

西ドイツ…916機(87)

台湾…282機(97)

ベルギー…113機(83)

デンマーク…51機(86)

日本…230(86)

パキスタン…12機(71)

ヨルダン…33機(83)


アメリカ以外の使用国を見ると、共通点も見えて来る。

一つは全ての国が、転換訓練型の複座型も同時に導入している事で、F-104の操縦が難しい機体であったことを裏付ける。

空自のF-104パイロットによると、離着陸速度が高いため、特に技量が要求されると言う。

また小さな主翼は高速・直線飛行向きで、空中戦は全くの不得手。空中機動でも最新の注意が必要だったと言う。

だが100機以上と言う、大量配備している国が多いのも特徴だ。

西ドイツ・カナダはもちろん、トルコの439機、台湾の282機も際立っている。

トルコはNATO加盟国で、ソ連と国境を接している事、米軍の駐留を認めている事から、優先的に供与を受けられる立場にあったが、60年代以降隣国ギリシアと「キプロス紛争」で敵対しており、それを意識した軍拡に現在も熱心な国である。

当初F-104はロッキード社製の新造機を導入していたが、生産中止になってもF-104を欲しがり、退役した各国の中古機をかき集めていた。

西ドイツ、オランダ、カナダ、ノルウェー、ベルギーなど、とにかく退役した同盟国からタダ同然でかき集めたと言う。

最も全てが部隊配備された用ではなく、「部品取り」の為にかき集めたようだ。

更にイタリアからS型も中古機で導入しており、こちらはASA改修型ではなかった様だ。

トルコ空軍からは97年に退役しているが、イタリアに次いで遅くまで運用した国の一つだ。

台湾は中国との関係上、国際的に「主権国家」とは一部を覗いて認められていないが、アメリカは承認しており、中国に対抗する意味も含めて60年代初期に供与と言う形でF-104Gを配備した。

島嶼を巡る中国との紛争に、台湾空軍のRF-104Gは中国本土上空に侵入し、強行偵察を行い、迎撃して来た中国空軍のMIG-17/19をおびき出し、その後からF-104Gが空中戦を仕掛けると言う実戦を経験している。

中国空軍の技量によるところも多かったが、何度かの偵察は全て成功し、空中戦でもF-104Gの圧勝である事が多かった。

台湾空軍も、こうした実績から同機がお気に入りで、カナダ・西ドイツ・オランダなどから中古機を導入して増強した。

意外と知られていないのだが、航空自衛隊が使用した「F-104J」も90年ごろ「中古機」として台湾が購入している。

これは大々的に報道されず「武器三原則」に抵触しそうに思えるが、退役したF-104Jをアメリカが一度引き取ることで、最輸出した。公表されていないが、20機前後のF-104Jがアメリカ経由で台湾空軍に送られ、97年の退役時は「日本製」のF-104Jが有終の美を飾ったと言う。

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       ↑保存された元台湾空軍の「三菱F-104J」(ウィキペディアより)


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           ↑航空自衛隊のF-104J(再褐)


パキスタンとヨルダンは、初期のA型を少数供与され、パキスタン空軍機はインドとの戦争に参加している。

しかし速度は遅いが運動性の良いインド空軍の「ホーカーハンター」などに、撃墜されている。

同時にアメリカから戦争による禁輸制裁を科されたので、修理もできない状態になって廃棄処分されたと言う。

こうして見ると、欠点があったとは言え、F-104がいかに優れた機体であったことかは疑いの余地はない。

当時は「多目的化」が出来ない時代であり、目的に合わせた能力こそ必要であった。

しかしF-104を使用した国のうち、半数は全く意にそぐわない「攻撃機」として酷使されたのは、冷戦時代と言う皮肉でもあっただろう。

パキスタン以外は、どの国も10年以上の長きに渡って使用しており、信用に値する機材だった。

事故率の高さは、運用側の問題であってF-104自身の問題ではなかった。

40代以降の世代であれば、昔のおもちゃや本などに、戦闘機のイラストがあると、たいていF-104だった記憶があるはずである。

いい加減なデッサンが多かったが、鋭く尖った機首、翼端の増槽は紛れもなくF-104で、60〜70年代「ジェット戦闘機」と言えば、いかにも未来的なデザインのF-104だったのである。

それだけ設計者ケリー・ジョンソンには「先見の明」があった、とも言える。

現在の目で見ても、とても50年代に設計されたとは思えないほど、先進的な機体だった。

イタリア空軍が21世紀まで現役で使っていたのも、最新鋭とは言えないまでも使い方によっては充分通用する性能を有していたからである。

原型初飛行が54年だから、ちょうど半世紀を経たところで「軍用機」としての使命を終えたのである。

しかし2,000基以上生産されたため、まだまだ飛べる機体は残っており、アメリカの民間団体が「保存機」として複数のF-104Gを補修の上、航空ショーで飛ばしている。

変った所では「NASA」が研究機として、複数保有しており、現在も飛べる状態に温存している。

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     ↑特別塗装を施したギリシア空軍のF-104G(ウィキペディアより)


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        ↑スペイン空軍のF-104G(ウィキペディア英語版より)

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       ↑ノルウェー空軍のRF-104G(ウィキペディア英語版より)


優れた超音速機でありながら、本国では運用性から重視されないと言う不幸に合ってしまったが、海外では大ウケ。

防空戦闘機としてはピカイチ。攻撃機としては無理があったが、頑固なまでに闘ったF-104。

私はなんだか、いじましささえ感じてしまう。

模型ファンとしては、15カ国分のカラフルなF-104をずらりと並べてみたい・・と言う夢がある。

デカール(模型に使うフィルム状の転写シール)がない、などの理由で、なかなか難しいが、これだけ愛用された機体だと、ぜひ全てを「立体」で眺めてみたくなる。

中古機が多いトルコ空軍機は、西ドイツ・カナダ・イタリア・オランダ機と同じグリーン&グレーNONATO塗装が多いが、カナダは当初無塗装シルバーだった。

デンマークはダークグリーン1色、ベルギーとギリシア機は、アメリカの「ベトナム塗装」に似た塗り分け。

航空自衛隊も無塗装シルバーだが、沖縄に配備されていた機体は錆止めにライトグレー。台湾機も同じ色調のライトグレー。

西ドイツ機は晩年グリーンの3トーンとそうで、海軍機はダークグレーに塗られていた。

アメリカ空軍機は無塗装シルバーだが、ベトナムに送られた機体だけ「ベトナム塗装」になっていた。

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        ↑ベトナムに送られたF-104C(アメリカ空軍提供)


1/72スケール奈良F-104はそんなに大きくないし、いつか余裕が出来たら・・・と思う。

それだけ「カラフル」は各国のF-104、写真を見ていても飽きることがない。

最もカッコイイのは、やはり最後まで残ったイタリア空軍の「F-104S ASA」だろうか。

当初はNATO迷彩だったが、最後はグレー2トーンの「制空迷彩」で、後継機種の「タイフーン」も似た塗装になっている。

古いF-104も塗装次第では、充分新しく見えるから、不思議な飛行機なのである。




夜もどこかムシッとした感じがあり、上着を着て出かけた私は歩いていて若干汗ばんだ。

曇っていて気温も下がらなかったからだろうか、来週半ばは再び暑くなる予想で、仙台も水曜頃30℃近くまで上がると言う。

ただ空気は乾燥するので、カラッとした暑さになりそうで、朝晩は10℃以上の気温差になると言う。

もう5月も後半に突入するから、今更驚かないが、今週の様な「寒さ」と暑さが交互と言うのは遠慮して欲しい。

今日も風邪気味なのか、体調が悪く、肩と背中に痛み、頭痛、めまい、微熱が続く。

だったら家で寝てればいいのに…母は具合悪くても出かけようとする私に良く行ったものだ。

よほど酷くない限り、せめてカフェでコーヒーが飲みたいし、夕食のおかずぐらい買わなくては・・と思うと出かけてしまう。

出かけている間は、具合の悪さが気にならないのだが。

母がいない「母の日」、2回目。

やはり寂しい。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

気温が半端で、服装に困っているのでは?

来週は半袖でも過ごせる日がありそうですが、日中だけです。

必ず1枚持って出かけて下さい。

私のみならず、気温差で風邪を引く人も多いようです。

体調管理には気をつけて下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。




風吹きて 海は荒るとも 明日と言はば 久しかるべし 君がまにまに(万葉集巻七 1309 柿本朝臣人麻呂)



☆今日のバス

1263号車 06年式日野ブルーリボンU(KV234N1) 野村車庫


野村車庫にたった1台配置の234系ブルーリボンU。

泉地区では富谷に3台あり、合計4台の「レア車」である。

280系と同じくワンステップだが、排ガス規制に合わせてV8エンジンから直列6気筒に換装した最初の形式である。

宮交では234系エルガの初期車はノンステップで、ワンステップはこの1260番代のブルーリボンUだけ。

と言うより同社のブルーリボンUは、この導入車だけである。

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