CRECHANのブログ 「風の道」

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zoom RSS 飛行機ネタ・マルチタレントなトーネード(5月14日 曇りのち晴れ 23℃)

<<   作成日時 : 2018/05/15 02:10   >>

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ブルーな月曜日は小雨模様で明けて、気分は余計ブルーになったかも。

だが天気の回復は急で、日中は5月らしい爽やかな青空と、少し強めの風が気持ち良い。

南から移動性高気圧が張り出して、明後日までは良い天気が続きそう。同時に暑さがやって来て、明日明後日は全国的に夏のような暑さになりそう。

一つお詫びと訂正を。

昨日「市内中心部で青葉まつり」と書いたが、昨日は「いちばん踊り」と言う「プレイベント」だったそうで、本番は今度の週末、19/20日だそうです。

すみませんね、世俗的に隔絶した生活しているもので…。

言い訳になるけれど、本番一週間前に「いちばん踊り」なんてイベント、あったっけ?と思う。

ウェブを見ると、どうやら参加者への配慮のイベントらしい。

「青葉まつり」は名物「すずめ踊り」が街中を練り歩くもので、祭り自体は30年程前から開始されたが、「すずめ踊り」は400年の歴史を持つ。

真偽の程は定かではないが、仙台藩主伊達正宗が地元の五穀豊饒を願って考案したと言われる。

最も仙台の歴史は、何かと伊達正宗ばかりだから、どこまで本当かはわからない。

ただ史料には、当時かららしきものがあった、と言うことらしい。

でもいつの間にか「青葉まつり」は全国的に有名になり、最近は県外はもとより海外からの観光客も多い。

「すずめ踊り」は、愛好者のグループ参加が基本。

年々参加するグループが増えており、中には県外に「遠征」するグループもいると言う。

会場のキャパシティが限界になったのか、それで昨日の「いちばん踊り」があったらしい。

でも「すずめ踊り」は6月の「東北六魂祭」(今年から名称が変わる)の他、確か7月にもイベントがあったと思う。

何だか毎月やっているような…。

戦国モノはウケが良いから、伊達正宗ゆかりの祭と言うと、仙台市民も自慢げになる。

しかし仙台の魅力って、二言目には「伊達正宗」で、おんぶにだっこ…のような気がしないでもない。

確かに仙台の伝統文化は、藩政時代に確立された物は多い。

だからといって仙台のルーツが全て伊達正宗…と言うのは、認識不足と言うものだ。

仙台と言う街自体も伊達正宗によって拓かれたが、何もない所に突然現れた訳ではない。

歴史からすれば、少なくとも飛鳥時代後期にはある程度街の原形が出来ており、奈良時代には「郡山城」(現太白区)がヤマト政権によって築造されている。

城と言っても、藩政時代のような物ではなく、政権の出先機関で、奈良時代後期には「多賀城」に移転した。

平城京政府の出先機関であった以上、役人の他に多数の人々が周辺に暮らしていたはずであり、小さな街が出来ていたはずでもある。

街らしい遺構は見つかっていないが、多賀城政庁跡では、少なくとも周囲1キロ四方に街が広がっていた事がわかっており、その範囲内だけでも、最低数千人が暮らしていたと思われる。

ゆえに郡山城も、似たような状況下だったと考えられるから、仙台の原形は間違いなく「奈良時代」に遡る。

仙台市民はもとより、観光客誘致に熱心な行政は、この事をどの程度認識しているのか?

伊達正宗は大いに結構だが、歴史で名を売るならば古代まで広めるべきだ。

奈良時代の平城京政府にとって、郡山城・多賀城は重要な支配拠点であり、特に多賀城時代の長官職「按察使」や「国司」には、日本書紀に登場するそうそうたる「有名人」が名前を連ねている。

「万葉集」の編纂責任者で、歌人の大伴家持も「陸奥国按察使」として赴任しており、多賀城で亡くなった。

日本人で大伴家持の名前を知らない人はいないだろうし、ゆかりの土地としてもっと宣伝すべきだ。

話が大袈裟になるけれど、「仙台イコール伊達正宗」はそろそろ卒業すべきでは?

なくせと言う意味ではなく、仙台はもっと古くから栄えていた歴史ある街…を、日本だけでなく世界にアピールして良いと思う。



飛行機ネタ。

日本人には航空産業と言うと、戦後の影響から殆どがアメリカの物であり、軍用機も旅客機もアメリカ製が多かった。

21世紀になってグローバル化が進み、エアバスやATRなど欧州製の飛行機も珍しくなくなったが、つい最近まではほぼアメリカ製ばかりであった。

政治的な事はともかく、戦後の日本の航空事情は完全な「アメリカ型」であり、物理的にもアメリカ風で通して来た。

その為部品や機器の「規格」も、アメリカ式である事が殆どだ。

なので欧州製、と言うと二の足を踏むこともあり、日本での軍用機部門では殆ど使われてこなかった。

60年代に輸入された機体があったが、評価用として輸入したものであった。

日本が初めて「ジェット機」を開発したのは、初等練習機「富士T-1A」だったが、国産機ではあったが、エンジンだけは開発が間に合わず、機体に合うエンジンとしてイギリスの「ブリストル・オルフュース」を輸入して取り付けたが、パーワー不足だったほか、アメリカ式と違うサポート体制が航空自衛隊には合わず、何とか完成を見た国産エンジンに切り替えられている。

航空機の場合、開発には莫大な費用がかかり、万が一失敗すれば税金の無駄遣いとなって政権が傾きかねないまでリスクを孕んでいる。

アメリカのように国家・企業とも潤沢な資金があれば良いが、他国では中々自主開発は困難を伴う。

ヨーロッパではそうした事情から、早い段階で「国際共同開発」が盛んに行われてきた。

冷戦による国際関係の問題のほか、第二次大戦で経済はどの国も疲弊しており、新しい冷戦時代の新型機の開発をそれぞれで開発する事は難しかった。

共同開発は、資金面ではリスクは少ないが、計画段階でそれぞれの利害が絡むと「計画倒れ」になる可能性は高い。

呼びかけに応じるまでは良いが、いざ作ろうとすると費用分担や製造分担、機体の仕様について各国の思惑が違うと「挫折」することは十分あり得る。

60年代以降、ヨーロッパでは共同開発があらゆる機体で行われていた。

イギリスでは、70年代以降に繋がる新型の攻撃機の計画を持っていた。

既に別の新型攻撃機「ジャギュア」をフランスと開発していたが、当初イギリスは「ジャギュア」を高等練習機にするつもりだった。

いざ完成して見ると、高性能だったため急遽計画を変更し、攻撃機として生産する事にしたのだが、本来は別の計画があった。

それは増大・強化され続ける「ワルシャワ条約軍」に対抗するべく、長距離低空侵攻が可能な「航空阻止」任務を専門に出来る、大型の攻撃機計画であった。

ジャギュアは確かに優れた攻撃機だったが、単座で能力は限定されていた。

狭く国の入り乱れたヨーロッパにおいて、来るべき「次の戦争」では条約軍が東西ドイツの国境を越えることを絶対阻止しなければならない。

その為には夜間・悪天候時でも、低空を正確に飛行し、目標を確実に攻撃出来る機体でなければならない。

ジャギュアは全天候能力を持っていたが、機体は小ぶりで、長距離侵攻能力が若干不足していただけでなく、削ぎ込まれた機体に発展の余裕がなかったのである。

イギリスが欲しがる新しい攻撃機は、複雑で優れた電子装備を持ち、最大速度はマッハ2以上、低空でも音速を越えられる速度性能と、8トン以上の武器搭載能力を目標としていた。

当然イギリスに単独で開発出来る資金力はなかったため、68年西ドイツ・イタリア・ベルギー・カナダ・オランダに計画を打診。

各国は呼応して、新しい攻撃機計画が発足しかけた。

しかし協議を行うと、資金面で折り合いがつかなかったカナダとベルギーは脱退。

残る4カ国で進める事になった。

そしてイギリスのBAC、西ドイツのMBB、オランダのフォッカー、イタリアのフィアットが資金を出し合い、合弁企業を設立して開発を行う事で合意したが、直後オランダ政府が「待った」をかけて、フォッカー社も脱落する事になった。

結果3カ国で開発を進めることになり、西ドイツに本社を置く「パナヴィア」社を設立。

計画がスタートした。

「MRCA」(Multi Roll Combat Aircrft)と名付けられた計画は、殆どイギリスの趣旨が反映されていたが、西ドイツ・イタリアともほぼ同意はしていた。

新型機は取りあえず「パナヴィアMRCA」と呼ばれ、強力なレーダー、専用に開発する新型エンジン、可変後退翼、複座型と言う骨子であった。

「MRCA」は攻撃の他、対レーダー攻撃、偵察、対艦攻撃と考えうる阻止任務を全てこなせるような機体が求められていた。

しかしイギリスは、MRCAにもう一つ条件を加えようと考えていた。70年代に入ると、イギリスは国道防衛のための「迎撃機」も欲しくなっていた。

当時イギリス空軍が保有する迎撃機は「最初で最後」の国産超音速戦闘機「ライト二ング」と、アメリカ製のF-4ファントムが導入されつつあったが、その「後継機」も見込んでおく必要があった。

そこでイギリスは「MRCA」に、戦闘機型の開発を並行させ、単座型も作るよう提案したが、勝手な計画変更に怒った西ドイツとイタリアは「計画中止」をちらつかせて、反対した。

既にエンジン開発も3カ国共同出資の「ターボユニオン」社を発足しており、ここで計画がとん挫する事は許されず、イギリスは戦闘機型の開発を「後回し」にすることで妥協した。

出足で何度も躓いた「MRCA」だったが、攻撃機としての開発は順調であり、74年に原型機の初飛行にこぎつけた。

2機の原型機は不都合があり、事故で失うと言うトラブルに見舞われたが、3号機以降問題は克服され、76年に量産機の生産が開始された。

同時に「ト‐ネード」と言う正式名称がつけられた。

生産は部品をBAC、MBB、フィアットが分担して生産し、機体の最終組み立てとテストはパナヴィア社本社のある西ドイツで行われた。

「トーネード」は双発・複座・可変後退翼を持つ、ヨーロッパ製としては初の本格的攻撃機となった。

アメリカは同じく可変後退翼を持ち、遥かに大型の「F-111アードヴァーク」、対するソ連も「スホーイ24フェンサー」を開発し、高速低空侵攻攻撃機を対峙させていた。

特に新型の「スホーイ24」は、レーダーに映らない超低空を高速で飛んで、大量の武器を搭載できる、NATOには最も恐るべき兵器の一つであった。

高高度を大挙侵入してくる戦略爆撃機より、少数のスホーイ24の方が、遥かに脅威になりつつあった。

イギリスは「F-111」の導入を計画していたが、非常に高価で維持費も高いため、諦めた経緯があった。

F-111より一回り小さいトーネードだが、能力はF-111並みかそれ以上で、維持費は遥かに安かった。

エンジンは「RB199」ターボファンエンジンで、アフターバーナーを持ち、最高速度はマッハ2.2と、予想より高速で会った。

特徴的なのは、スラスト・リバーサ(逆噴射装置)がつけられた事で、これは有事に緊急退避した未整備の臨時の基地でも運用できるよう、つけられたものである。

当然離陸性能には短い滑走路で飛び立てるSTOL性能が求められたが、可変後退翼のおかげで大型で重量のあるト‐ネードでもSTOL性能を有している。

逆に着陸にはスラスト・リバーサを用いることで、短い滑走路でも着陸できる。

旅客機では当たり前の装備だが、軍用にでは非常に珍しく、他ではスウェーデンの国産戦闘機「ビゲン」くらいしか見当たらない。


エンジンは並列に出来るだけ寄せてつけてあり、1基が故障してもモーメントが発生しにくくされている。

またエンジンの整備は、胴体下面のパネルを開くことで行えるようになっており、前線基地でも容易に整備できるなど、サバイバリティにも配慮されている。

可変後退翼は60年代に、新しい概念として登場した。

低速飛行時には、最大前進位置にすることで揚力を安定させ、超音速では最大後退角にすることで〔デルタ翼〕と同様の効果を得る事だ出来、まさにマルチな翼型ではあった。

実際には両翼をシンクロさせつつ同時に動かす動力機構が必要で、構造は複雑化し、機体の重量はかなり増える。

アメリカの「F‐14トムキャット」のように、コンピューター制御で可変させれば良いが、手動だと3か所程度の固定ポジションしか動かせなくなり、主翼に武器を搭載するにはパイロンが角度で連動する機構を組み込む必要もあった。

飛ぶだけなら、可変後退翼は理想の形態だったが、実際の運用となると制限の方が多かったのである。

それでもト‐ネードが可変後退翼を採用したのは、共同開発で資金面をクリアできたのと、要求性能を満たすためには必須と考えられた為である。

ト‐ネードの基本型である攻撃機型は「IDS」と呼ばれ、3カ国のほかイギリスと同盟を結ぶサウジアラビアが導入を決定した。

ト‐ネードは計画段階から、3カ国分だけで充分原価償却出来る大量生産が見込まれていたため、輸出セールスは積極的に行われなかった。

加えて当時としては非常に高度な航法・攻撃システムを持つため、NATO以外への輸出は「機密」も兼ねて制限したのである。

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     ↑アフガニスタンに派遣されたイタリア空軍のト‐ネードIDS/ECR(アメリカ空軍提供)


ト‐ネードは10年間の間に992機も生産され、そのうち700機以上は攻撃機の「IDS」である。

ト‐ネードIDSは、多様な武器を搭載する事が出来、最大で約9トンを搭載する事が出来る。

当初は通常型爆弾やロケット弾が主流だったが、80年代に入るとすぐに対地ミサイルや精密誘導兵器を運用できるようになった。

IDSはイギリス空軍では、慣習にならって「GR.1」として300機以上が配備された。

その他西ドイツ空軍、西ドイツ海軍、イタリア空軍、サウジアラビア空軍が「IDS」の呼称で配備した。

特にイタリア空軍と西ドイツ海軍は、対艦攻撃任務を持ち合せており、両国が開発した大型対艦ミサイル「コルモラン」を、胴体下に2発搭載できる。

ハードポイントは前部で11か所に及び、F-111より搭載量は少ないが、多様性では遥かにト‐ネードの方が優れていた。

機首の下には、やはりト‐ネード用に開発された27ミリマウザー砲2門が固定武装としてつけられていて、敵の車両などソフトターゲットに威力を発揮する。

80年代後半になると、各国はグレードアップを始め、特に電子装備の能力向上に重点が置かれた。

ト‐ネードIDSは当初から、夜間でも正確に低空を飛行できる優れた地形追随レーダーを持っていたが、グレードアップでは更に進化させて、赤外線探査装置やデジタル航法・火器管制装置に更新し、精密誘導兵器の運用能力が向上した。

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        ↑イギリス空軍のト‐ネードGR.1(ウィキペディアより)


ト‐ネードを見ると、比較的新しい世代の機体ながら、随分ごついスタイルと言う印象を受ける。

基本設計が60年代後半だった事も影響しているが、アメリカではレーダーの反射率を出来るだけ少なくする「ステルス」性能の研究が進んでおり、当時でもF-16やB-1爆撃機などは、曲線を中心とした滑らかなデザインが採用され、レーダーを反射率を出来るだけ少なくする努力がなされているが、ト‐ネードにはそれが全くない。

目を引くのは、機体の割にどう見ても大きすぎる垂直尾翼で、これだけで敵のレーダーには遠くでもはっきり移ってしまう。

胴体も大量の燃料タンク、アビオニクス(電子装備)、可変後退翼の可動装置などが詰め込まれているので、左右に平べったく上下に太い。

空気取り入れ口も、ターボファンエンジンのため流入量を増やせるよう大きなものになっており、「ステルス性」は0である。

それでも良しとしたのは、当機の任務が地上すれすれの超低空高速侵攻かミサイルによるスタンドオフ攻撃(視程外攻撃)だったからである。

空気の密度の濃い低空では、気流の影響を受けやすいので、あえて尾翼を大きくすることで効果を優先させた結果である。

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        ↑西ドイツ海軍のト‐ネードIDS(ウィキペディアより)


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        ↑西ドイツ空軍のト‐ネードIDS(ウィキペディアより)

西ドイツは空軍・海軍とも、攻撃機としてF-104Gスターファイターを使用していたが、低空では扱いにくい機体だったため、事故率が高く、機体はもちろん乗員の犠牲も多かった。

冷戦の最前線だった西ドイツでは、航空阻止は最重要任務であり、危険を承知でF-104を使い続けていたが、ト‐ネードの就役で、さらに高度で安全な任務を実行できるようになった。

冷戦終結と同時に、東西ドイツは統一され、軍も旧東ドイツ軍と合併して改編を余儀なくされた。

冷戦終結・統一により新ドイツ軍は再編され、海軍は固定翼機の廃止が決定し、一足先にト‐ネードが退役した。

また全体の削減もあって、空軍の純粋な攻撃機型のIDSは退役し、改修された機体だけが存続する事になる。

ドイツ空軍はト‐ネードを、低空侵攻機のほかに「対レーダー攻撃機」及び電子偵察機として延命工事をすることにして、改修型は「ECR」とされた。

これは電子偵察機として、各種センサーポッドを搭載・運用できるようにしたほか、レーダー攻撃システムを搭載して「AGM-88 HARM」対レーダーミサイルを主要武器とする。

アメリカで言う「ワイルド・ウィーズル」である。

更に対地ミサイル「AGM-65マーべリック」や、誘導巡航ミサイル「タウラス」の運用能力も持つ。

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     ↑現用中のドイツ空軍ト‐ネードECR(ウィキペディアドイツ語版より)


このECR改修は、イタリア空軍のIDSにも行われ、同空軍の保有する全てのIDSはECR仕様に改修されている。

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     ↑初期のイタリア空軍ト‐ネードIDS(ウィキペディアより)

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     ↑バディシステムで空中給油中のイタリア空軍IDS(アメリカ空軍提供)





イギリス空軍も独自の改修を続けたが、ドイツ・イタリアと違い、主な任務は低空侵攻の他、巡航ミサイルによる攻撃である。

特に91年の湾岸戦争では、ト‐ネードの能力を証明するかのように、最も危険な任務を成功させ、その後もイラク・アフガニスタンに派遣されている。

特に精密誘導爆弾の運用に用いられ、新型のレーザー照射装置など、各種ポッドを一度に複数取りつけて任務を遂行できる。

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       ↑イギリス空軍のト‐ネードGR.4(ウィキペディア英語版より)

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       ↑ト‐ネードGR.4のコクピット前席(アメリカ空軍提供)


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      ↑GR.4のコクピット後席(アメリカ空軍提供)


一方イギリスが一時提案した「迎撃機」型ト‐ネードは「ADV」(Air Deffennce Version)は、機首が延長され、大型の迎撃レーダーに換装された。

完成した80年代には、予定通りファントムの退役が近付いており、イギリス空軍は早速後継機種として配備したが、当初レーダーが間に合わず、エンジンの調整にも手間取って、暫定型を配備した。

ターボファンエンジンの「RB199」は、当然ながら低空・中高度用のセッティングであり、防空のために高高度へ高速で飛行するようにはなっていなかった。

調整に時間がかかり、暫定型は「F.1/F.2」として装備されたが、実戦配備されたのは「F.3」になってからであった。

武装は「AIM-9サイドワインダー」と、レーダーホーミング式中距離ミサイル「スカイフラッシュ」を、それぞれ4発ずつ、合計8発を搭載したが、機体の形状が迎撃機見機とは言えず、激しい軌道を伴う空中戦は不得手である事が分かった。

可変後退翼の可動が、空中機動では緩慢で、旋回性能などは良くなかった。

またレーダーも、要求通りの性能は満たしておらず、結局「トーネードADV」は、次の「タイフーン」までの「中継ぎ」にしかならなかった。

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       ↑迎撃機型ト‐ネードADV「F.3」(アメリカ空軍提供)


イタリア空軍でも「タイフーン」計画の遅延で、防空迎撃機が不足していて、イギリス空軍で余剰となったADVをリースと言う形で1個飛行隊分導入した。

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       ↑イタリア空軍のト‐ネードF.3(ウィキペディアイタリア語版より)

ト‐ネードIDS/ECRを運用するイタリア空軍は、慣れたADV型を喜んで受け入れたが、現実には全く違う機体と言って良かった。

エンジンのセッティングが全く違い、かつ不調が多く、迎撃レーダーもやたら電源を喰うタイプで、すぐに故障した。

高高度では機動が緩慢で、前任のF-104Sの方が遥かに出来が良く、現場での評判は散々だった。

イタリア空軍はこのADVを持てあます事になり、僅か数年でイギリスに返却。

代わりにアメリカで余剰となっていた「F-16ADF」をリースして、タイフーンの就役まで約9年間運用した。

唯一輸出国となったサウジアラビアはIDS/ADVどちらも導入し、湾岸戦争でも有志連合の一員として参加させている。

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       ↑サウジアラビア空軍のADV(アメリカ空軍提供)


レドームの延長で、ごついト‐ネードも結構格好良く見えるのがADVで、私は好きなのだが、本来長距離侵攻機として設計された機体を、高速迎撃機に転用する事自体間違いで、機体その物は「MRCA」にはならなかった。

「航空阻止」と言う、攻撃機としては様々な武器・センサーを駆使する「MRCA」であるが、物理的な意味においては「MRCA」となるには、時代が早かった。

今こそ後継機種の「タイフーン」が、まさに「MRCA」を達成しつつあるが、ト‐ネードはその方向性を見せたと言う点では、ある程度成功した機体であろう。

3カ国ではタイフーンが順調に配備されているが、精密攻撃機としてト‐ネードの魅力・実力は衰えておらず、しばらくは現役を続ける見込みである。

共同開発機ではあるが、ファンならばそのスタイルは紛れもなく「イギリス」機であることが分かろう。

中身を優先し、外観は後から・・と言う、イギリス的保守性が残る最後の機体とも言えるのがト‐ネードだろう。

ADVはイギリス空軍でも、タイフーンに切り替わり、早々に退役しており、期待したものの大した機体ではなかったようだ。

なおサウジアラビア空軍は、IDSのみ運用中で、ADVは退役し、同じくタイフーンが後継機になっている。

なんとなくイギリスに各国が「乗せられた」感じのあるト‐ネードだが、熟成された恐るべき攻撃機であることには代わりない。

ステルス性など、必要のない地域の戦闘ならば、まだまだ充分強力な攻撃機である。

改めて写真を見ると、本当に垂直尾翼は不釣り合いなほど大きく、なるほど迎撃機・戦闘機としては「抵抗」になってしまう事は一目瞭然と言えるかもしれない。




夜が意外と冷えている気がする。

スキっと晴れているので、放射冷却なのだろうか。

月曜日、夜の街は皆早く帰宅してしまう。

バスも10人程度で、早々と私だけになってしまった。

体調は回復せず、風邪のような症状が何時までも続く。

なんとなく、と言うのが重なっており、風邪薬を飲めばいいと言う感じでもない。

肺炎など起こさなければ良いな、と思うが、病院に行く余裕はないし、何より今月の生活費は最も厳しく、下旬は「飢える」かもしれない。

凄いと思う、この時代に飢餓に晒されるなんて、何かが間違っている。

体調不良と相まって、母がいよいよ迎えに来るのかも・・・と思うが、どうだろうか。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

少し暑くなりそうで、半袖でも過ごせそうになりそうです。

明日明後日は、早くも君は「半袖デビュー」することになるかの知れませんね。

でも週後半は再び雨が降りやすくなり、気温も下がると言います。

本当に変化の激しい天気です。

無意識に体に負担がかかるので、体調管理には充分注意して下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。





天雲の 去き還りなむ ものゆえに 思ひぞわがする 別かなしみ(万葉集巻十九 4242 大伴宿禰家持)



☆今日のバス

96号車 06年式いすゞエルガ(LN234L2) 泉営業所

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