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zoom RSS 飛行機ネタ・地味に先進的だったニムロッド(6月25日 晴れ 29℃)

<<   作成日時 : 2018/06/26 02:36   >>

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梅雨明け間近…なんて思ってしまいそうで、青空と強い日差しは夏本番を思わせる。

仙台の最高気温は真夏日一歩手前。実質的には、真夏日みたいな一日だった。

幸い湿度が低い暑さだったので、数字ほどの感覚はなかったように思う。

梅雨前線は大陸の方に引き上げてしまい、南から夏の太平洋高気圧が勢力を強めつつあり、関東より西では「梅雨明け」の可能性もあると言う。

週間予報では、雨はなく、真夏並みの天気が続く。

今日は栃木県栃木市で36℃の猛暑日を記録。東京でも今年最高の32℃を記録した。

まだ6月なのに、しかも梅雨らしい天気はほんの数日だけ。

いやいや、気候と言うのは必ずどこかでバランスを取るから、喜んではいけない。

昨年も梅雨入りしながら、良い天気が続き暑くて「カラ梅雨」なんて言っていたけど、夏休み本番の8月になってから雨が多く、気温の低い日々が続いた。

季節の「前倒し」なのではないか、と思う。

だから早々に梅雨明け、と油断は禁物。

気温の高い関東以西は後から大雨が続く、と言う事も否定出来ない。

天候不順は今に始まった事ではない。

目の前の予報に一喜一憂するより、疑心暗鬼になった方が良いかも。

サッカーW杯、やっぱり気になって見てしまいますねえ。

昨夜の日本vsセネガル戦。

先制されて嫌なムードが漂ったけれど、追いつき追い越され、再び追いつき2-2のドロー、勝ち点1。

負けないのは良かったが、勝ち点3を決めればほぼ予選突破になったので、ちょっと残念。

選手自体が重く見ているようで、試合後彼らに笑顔がなかったのが印象的だった。

でも全く勝てない、と言う下馬評だった日本。

やはり西野監督に交替した事が大きいと思う。

日本人は世界中でどこよりチームプレーを重視し、得意。

それを生かせるのは、日本人リーダーだと思う。

どんなに素晴らしい外国人監督でも、言葉や形で表せない日本人の魂は理解出来ない。

理屈ではなく、「心」なのだ。

それが世界に通用するかしないかは別として、その精神は誇るべきものだと思う。



飛行機ネタ。


日本のように、周囲を海で囲まれた国は、外国からの軍事的脅威に対して比較的恵まれている。

大自然である海こそ、まさに天然の「要塞」であるからだ。

かと言って放っておけば、侵略者は船を使って押し寄せる事になり、国防として海上・海岸防衛は基本でもある。

飛行機がなかった時代には、侵略者は100%船でやって来たが、今は飛行機で易々と海を越えて来る。

海上防衛も未だ疎かには出来ない。

潜水艦など、海上で見えない敵がやって来る可能性だってある。

そうした基本的戦略の中で、海岸線を持つ国の大半は、国防の要の一つに「哨戒」がある。

哨戒とは読んで字のごとく、領海を監視・警戒する事。

飛行機の時代になって初めて軍事的な活用方法を見いだされたのは、海上での「哨戒」であった。

船での監視より、上空からの監視の方が遥かに早く相手を見つけ出し、通報出来る訳だから、当然と言えば当然である。

哨戒機の重要性が増したのは第二次大戦からで、潜水艦の技術が発達してからである。

それまでの潜水艦は技術が未熟で、長い時間潜航は出来ず、戦争の道具には適していなかったが、この時代になると技術が向上し、現在に繋がる潜水艦の基本形が確立された。

ナチス・ドイツ海軍は「Uボート」と名付けた大型潜水艦を大量生産し、連合軍の艦艇や船舶を攻撃した。

特にアメリカ本土からの輸送船や、各地に向かう輸送船を、大西洋や地中海で待ち伏せして撃沈した。

潜水艦だから、船舶は近づくUボートに成す術がなかったのだ。

そこで本格的な「哨戒機」が開発され、海上から潜水艦の「影」を探ると同時に、磁気探知機で見えない潜水艦を探す方法が考えだされた。

当時の潜水艦は、戦闘時にしか潜航しない。

海中ではバッテリーでモーターを回して潜航するが、バッテリーの容量に限界があり、かつ船内の酸素を考えると、せいぜい2時間程度が限界だった。

そこでドイツ海軍は、オランダ人技師が考案した「シュノーケル」を採用した。

これはマリンレジャーでもお馴染みの呼吸器具だが、元々潜水艦の技術であり、両者とも理屈は同じだ。

シュノーケルをつける事で、潜水艦は潜航したまま航行が可能になった。

最もシュノーケルの長さは限定されるので、潜航と言うより海面下に「姿を隠す」ものだが、海上での発見率は大幅に低下した。

海面下数メートルではあるが、姿を全て隠せるので、船舶からは見えない。

しかも吸気が可能だから、航行はエンジンが使えるし、艦内の酸素供給も可能になる。

「潜水艦狩り」専門の駆逐艦が相手の時は、バッテリー潜航で深く潜れば良いのであって、輸送船攻撃ならシュノーケルのおかげで絶大な効果を上げたのである。

しかしいつまでもやられっ放しでいられない連合軍は、磁気探知機の他レーダーを使って潜水艦を発見するだけでなく、爆弾や爆雷で攻撃するようになって、さすがにUボートは我が物顔でいる事が出来なくなったのである。

戦後冷戦時代になると、潜水艦技術は更に発達し、原子力潜水艦の時代に突入する。

そうなると潜水艦は水上に顔を出す時間が短くなり、時には100メートル以上も深い場所を潜航する。

これでは従来の哨戒機では発見できなくなるため、各国は様々な新しい哨戒機をこぞって開発するようになった。

当然ながら海のない内陸国はその必要がなく、あってもソ連のように船舶が出入りできる海が極めて限定されている国は、哨戒機は必要ない。

特に旧ソ連は核戦略の一つとして原子力潜水艦は多く存在するが、逆に脅威となる敵の潜水艦は近づきにくいことを利用して、意外にも哨戒機の種類は少ない。

多くの哨戒機を必要としたのは、ソ連潜水艦を極端に脅威と捉えた西側諸国の方であった。

哨戒機は特別な装備を必要とする。

潜水艦だけでなく、船舶全体の捜査・判別機能、攻撃機能が必要である。

更に広大な海域をカバーするために、長距離・長時間の飛行が可能であることが条件だった。

大戦直後、元連合国だったアメリカ・イギリスは爆撃機などの大型機が大量に余っていたため、とりあえずそれらを改造した哨戒機を作ったが、古いだけでなく、レシプロ機では騒音・振動が大きく、哨戒には向いていなかった。

哨戒には水中の「音」を捜索する「ソナー」が必要であり、レシプロ機では妨げになるのだった。

そこで目を付けたのが50年代に主流となったターボプロップ旅客機で、ジェット旅客機が急激に数を増やしつつあって来たため、これらも余剰になっていた。

同じプロペラ機でも、ターボプロップならば騒音・振動はかなり低く抑えられるし、燃費も良く、長時間の飛行も可能であった。

また元旅客機だから、機内のスペースも広く、与圧もあり、乗員の作業環境も大きく改善された。

哨戒機は任務上、飛行時間は短くても数時間。長いと12時間にも及ぶことがあり、乗員の環境は重要な課題の一つであった。

大戦中の爆撃機ベースでは、とてもそのような環境は作り出せなかったのだ。

アメリカは4発のターボプロップ旅客機「ロッキード・エレクトラ」をベースに「P-3オライオン」を開発し、西側のベストセラー哨戒機となった。

海上自衛隊でも主力機として100機以上が導入され、アメリカ海軍も現役にある。

しかし海洋大国ながら、哨戒機開発に一歩立ち遅れたのがイギリスであった。

レーダーなど電子機器を最初に実用化したイギリスだったが、そのプライドに安心していたのか、気づけば60年代にはロクな哨戒機がなかった。

50年代にNATOは国際共同で哨戒機を開発する計画を起てたが、59年にイギリスは脱退していた。

自国の航空産業保護のためには、共同開発ではなく、国産機を・・と言う潮流が強かったのであった。

その後フランスと旧西ドイツが開発した「アトランティック」が完成し、イギリス政府はメーカーに同等の性能を持つ哨戒機の開発を命じた。

当時イギリスは「アブロ・シャクルトン」を哨戒機として使っていて、4発ターボプロップ機ではあったが、ベースは大戦中のレシプロ4発爆撃機「リンカーン」にあった。

設計思想は30年代の代物で、新しい機材を搭載・交換する様な機体ではなかった。

開発を依頼された「ホーカー・シドレー」社は、一つの案を持っていた。

「アトランティック」は思いのほか性能が良く、政府は導入の考えを見せ始めており、既存の構想では太刀打ちできないことがわかった。

P-3のように旅客機ベースでも良かったが、イギリス製の旅客機はP-3に比べ小型で性能が低く、一から設計した「アトランティック」の方が明らかに上手であった。

ホーカー・シドレー社は、哨戒機の原案にデ・ハビランド社が作ったジェット旅客機「コメット」を組み合わせることを思いついた。

「コメット」は、世界初の実用ジェット旅客機と言う「名誉称号」を持っていたが、初期の機体は強度の問題が続出し、空中分解事故を連続させていた。

すぐに改修型に切り替えられたものの、「危険な飛行機」のレッテルを併せ持つことになり、生産ラインは閉じてはいなかったが、全く売れない旅客機になっていたのである。

そこでホーカーは、自社の哨戒機プランを言わば「売れ残っていたコメット」と抱き合わせる事にしたのである。

何故なら「コメット」の連続事故が原因で、デ・ハビランド社は経営が悪化し、59年にホーカー社が買収したばかりだったのだ。

「コメット」は、4発ターボジェット旅客機で、「ロールス・ロイス・コンウェイ」エンジンを主翼の付け根に埋め込むように取りつけていて、主翼の後退角は浅く、直線翼に近い。

分解事故を起こしたのは、客室窓が四角かったのが原因で、高速・高高度飛行に窓の形が合わなかったたねであった。

単純に飛行する分には、充分な非常特性を備えており、ホーカー社は自信を持って64年に設計を開始し、とりあえず残存していた「コメット4」型機2機を改造して、新型哨戒機を作った。

原型機は67年に初飛行したが、「コメット」で問題となった強度不足は解決済みであり、イギリス空軍は「ニムロッド」と名付けて採用を決定した。

何より「純国産機」であったこと、アメリカのP-3と違い、世界初の「4発ジェット」哨戒機であることが、政府と軍のプライドを大いにくすぐったと言える。


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        ↑イギリス空軍のニムロッドMR.2(ウィキペディア英語版より)


ベースとなった「コメット」の面影は、主翼付け根につけられたエンジンと主翼ぐらいで、それ以外に面影はない。

ホーカーは胴体を「洋ナシ」のような、二重構造を取り入れることで機内のスペースを大きく取る胴体に替えた。

これは「アトランティック」にも採用された形で、胴体内部は旅客機以上の「ダブルデッカー」構造を取ることができる。

エンジンは効率の良い「ロールス・ロイス・スペイ250」に換装され、出力・燃費は大幅に向上した。

「ニムロッド」の平均航続力は約9,000キロになり、通常の哨戒任務であれば8〜10時間の滞空が可能であった。

またジェット機であることは、基地から遠くまでそして早く展開できる能力を有したことになり、P-3よりも優れていた。

乗員は3名のコクピットクルーの他、「客室部分」にレーダーやソナーの操作員・洋上偵察員・武器担当員など、8〜12名が搭乗する。

最初の改造機2機を加え、新造機とともに49機の「ニムロッド」が生産され、最初の機体は「M.1」と名付けられた。

機種は大きく伸びて、大型のレーダーを、尾部にはMAD(磁気探査装置)ブーム、胴体下部には開閉式の爆弾倉が増設された。

主翼や垂直尾翼の先端には、電子機器ポッドも増設されている。

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            ↑初期のニムロッドM.1(ウィキペディアより)


ニムロッドM.1は69年から部隊配備が開始されたが、面白い事に哨戒機ながら所属が「空軍」である事だ。

これはイギリスの伝統で、海軍機は艦載機であることが定番であるからだ。もちろん陸上基地での運用はあるが、空母を含む艦艇に積載し、運用できることが海軍機の「条件」なので、大型機は全て「空軍」の所属である。

前代の「シャクルトン」も、海軍機と同じブルーグレーの洋上塗装をしていながら、所属は空軍である。

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        ↑イギリス空軍のシャクルトンAEW.2(ウィキペディアより)

連携がうまくいかないような気がするけれど、とにかくイギリスでは哨戒機は空軍の所属なのである。

75年には機材の大幅な変更が行われ、全機がMR.2に改修された。

これは哨戒用機材の更新の他、洋上偵察機材が増設された改修であった。

同時に空軍は「早期警戒機」として、ニムロッドを流用する事を立案し「AEW.3」として少数を改造して試験を行ったが、警戒レーダーの開発が進まず、アメリカ製の「E-3Dセントリー」を輸入する方が適正と判断されため、改造機は残存機への部品取りとして退役した。

82年に起きた「フォークランド紛争」では、ニムロッドの出番はなかったが、長距離海外進出の必要性が見直されたため、機首上部に空中給油ロッドが追加され、主翼のパイロンには自衛用の「AIM-9サイドワインダー」空対空ミサイルが装備できるように改修された。

ニムロッドの主要武器は対艦兵器であり、航空魚雷・爆雷と言った対潜水艦兵器はもちろん「AGM-84 ハープーン」対艦ミサイルも装備できる。

後期のMR.2では、この「ハープーン」用の誘導装置が追加されており、哨戒機のほか対艦攻撃機としての機能も持つようになっていた。

ニムロッドはイギリス本土の海上防衛が主任務なので、海外展開は少なかったが、冷戦終結後は海外展開も機会が増えている。

初めて実戦に投入されたのは2003年から始まったイラク戦争で、有志連合軍として派兵したイギリス軍の一部としてニムロッドもイラクに赴いた。

主にイラク南岸、ペルシア湾近郊の洋上監視を主任務として、比較的長期に渡って駐留していた。

国内の進攻作戦には直接関与しなかったが、ペルシア湾にはアメリカを敵視するイランやイラク残党による海上攻撃の恐れがあったからだ。

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      ↑イラクの基地から離陸するニムロッドMR.2(アメリカ空軍提供)

戦闘による損失はなかったが、06年に空中給油を行った直後のニムロッドが、突然火災を起こして墜落、乗員14名が死亡すると言う事故が発生した。

事故調査によると、事故機は空中給油中に燃料パイプから燃料が漏れ、それが引火したものとわかった。

しかもその原因は燃料パイプの「腐食」にあり、空軍はわかっていながら飛行させていた。

当時のキャメロン政権は極端な軍事費削減政策を実行しており、少ない予算は新型の原子力潜水艦と空母の建造に充てられ、空軍に余計な予算が回らなかった。

特に古い機体の整備費用にはとても廻らない状態で、空軍はスペアパーツさえ手作りで賄う状態にあったと言う。

結果的にこれは空軍の責任だけに留まらず、政府の責任も問われることになり、政治問題まで発展する事になってしまった。

空軍では92年に、ニムロッドの大幅な改修・更新計画を立て、「MRA.4」として再生する計画を持っていた。

エンジンを「ロールス・ロイス・BR700」に交換し、電子装備を一新、構造の補強など前面に渡っての更新で、残存していた21機を改修予定であった。

しかし予算削減はこの時から始まっており、更新計画は破棄されてしまった。

数機がエンジンも交換してMRA.4として試験飛行を行っており、結果は満足できるものであったと言うが、計画が破棄されたことで、改修された機体はそのまま退役になっている。

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     ↑2枚、ニムロッドMRA.4。増設されたフェアリングの他、エンジンが換装されたことが分かる(ウィキペディア英語版より)


改修に改修を重ねて来たニムロッドは、追加の新造機はなく、全てが60年代の製造で、老朽化は激しかった。

同時に後継機種は政権の政策で思うように進まず、さりとて哨戒機をなくすこともできないと言ったジレンマに陥ってしまった。

だが06年の事故で、同延命しても寿命は限界であり、僅かに残ったニムロッドが退役したのは11年のことであった。

初飛行から45年も経っており、機体自体もそれだけ経っていたのであった。

設計思想と言う点で見れば、「コメット」から60年以上経ってからのことであり、その血脈は2010年代まで現役と言う「偉業」を残すことにもなったのである。

ニムロッドは4発のジェット機で、速度はジェット機としては低く800キロ程度だが、プロペラ機よりはもちろん早い。

また直線的な主翼は安定感が良く、低空を飛行するのに引導性も良かったと言う。

哨戒機なので、できるだけ速度を落とせる機体が優位と言えるが、失速特性さえよければ問題ないし、何より電子機器の進化で、速度のそれはあまり関係なくなってきている。

アメリカではP-3の後継機として、旅客機B737-800をベースにした「P-8ポセイドン」、日本は国産機の「P-1」を開発し、どちらもジェット機である。

ニムロッドの登場時期を考えれば、実に先進的な哨戒機であり、半世紀経ってジェット哨戒機が「常識」になった。

もしもニムロッドがターボプロップ機だったなら、現在もそれが常識だったかも知れない。

デザイン的には、残念ながら「格好良い」とは言えず、ある意味イギリス機らしい「実用性優先」型である。

哨戒機と言う立場から、当初は迷彩塗装は施されず、旅客機の雰囲気がどことなく残っていたが、80年代以降の大型機が「ヘンプ」(麻色)に指定されると、のっぺりした機首と胴体は凄みを増している。

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         ↑編隊飛行するニムロッドR.1(ウィキペディアより)

明るい色調と4発エンジンから、大きさが増長されて見えるが、ニムロッドの全長は約39メートルで、実際にはB737/P-8とほぼ同じ大きさである。

エンジンは古いターボファン「スペイ」だが、頑丈で故障の少ないエンジンとして評価が高く、4発なのでペイロードは意外と大きい。

フレーム自体がとにかく古い、と言うのがネックであり、それさえなければ現在も現役で通用する機体だった。

先に書いたが世界初のジェット旅客機「コメット」の血を引く、貴重な機体が21世紀まで飛んでいたことは評価に値すると思う。

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              ↑ニムロッドR.1(ウィキペディアより)



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           ↑ニムロッドの操縦室(ウィキペデイアより)


飛行機ファンには哨戒機と言うと、ちょっと地味で人気が薄く思える。

だが派手な戦闘機と違い、哨戒機は確かに地味ながら、365日24時間いつも飛行して、海上防衛を担っている。

日本発の国産哨戒機「P-1」は、ニムロッドに次ぐ4発ジェット哨戒機であることは、ファンでも意外と気づいていない。

イギリスも日本も島国で、洋上監視は大陸国家より広く、哨戒機の任務は重要である。

同時に性能向上と効率化のために、日本は敢えてジェット機。しかも4発を選んだ。

低燃費エンジンまで丸ごと純国産であり、燃費は双発のP-8並みだと言う。

ニムロッドを老朽化で失ったイギリスは、「P-1」に非常に強い興味を示し、輸入するのではないかと噂されたが、イギリス空軍はP-8Aを選択した。

イギリスは4発ジェットのP-1を非常に高く評価したが、機材がアメリカと同一のP-8Aの方がYん要しやすく、安価だった事が決定事項だった。

生産コストの高いP-1は、残念ながらセールスに失敗した。

だが「4発ジェット哨戒機」は、今のところP-1だけで、同じく島国のニュージーランドやタイ、インドが興味を示していると言われている。

なお「ニムロッド」とは、旧約聖書「創世記」における箱舟で有名な「ノア」の孫の名前である。



夜は意外と涼しく、家の中は籠り熱。

この差が身体に堪える。

今週は明日だけくもりがちで、以降良い天気が続き、仙台でも30℃の真夏日が続くと言う嫌な予想が出ている。

さすがに家ではエアコン・・・にしたいところだが、まだ6月・・・電気代を節約するのに我慢するか、身体を優先させるべきか迷う。

来週前半まで、私は家に「引きこもり」をしなくてはならないので、悩んでしまう。

出て歩くと空腹になるので・・・家に食べ物がなくなりつつある。

収入まで丸1週間、なるべく体力を温存しておかないと。

白米と水だけで過ごせるかしらん…ああ、いつまで貧困に悩まされ続ける事やら。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

暑くなってきました。

今更言うまでもないですが、熱中症対策は気をつけて下さい。

仕事中も、家にいる時も注意して下さい。

君は意外と我慢強い方だと思いますが、決して無理はしないようにして下さい。

そろそろ夏休みの事も、頭に浮かんでいるのではないですか?

どこか旅行に?

君は今でも奈良に行っているのでしょうか?

私は行きたくて行きたくて仕方がないのですが、母を亡くして以来いろいろあって行くことが出来ずにいます。

私の「代わり」に、君が行ってくれるとありがたいです(笑)。

明日も蒸し暑いようなので、充分気をつけて下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。





まけ長く 夢にも見えず 絶えたれど わが片恋は 止む時もあらず(万葉集巻十一 2815 問答歌)




☆今日のバス

395号車 00年式三菱ふそうニューエアロスター(MP717M) 泉営業所(元名古屋市交通局)


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