CRECHANのブログ 「風の道」

アクセスカウンタ

zoom RSS 古代史探偵A 夏越しの大祓え・三輪山と大神神社(6月29日 晴れ時々曇り 32℃)

<<   作成日時 : 2018/06/30 02:03   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

夏が来た!

って言って良いの?関東甲信越では、記録的な早さで今日「梅雨明け宣言」になった。

しかし梅雨前線が消えた訳ではなく、今朝早く九州北部では梅雨前線による大雨が降り、1時間に100ミリ以上と言う豪雨になった所も。

沖縄の南では「台風7号」が発生し、明日明後日に沖縄に直撃の恐れ。

日本の空は訳のわからない事になっている。

仙台は朝から良い天気で、気温もどんどん上昇。暑さは太平洋高気圧のせいだから、こちらも梅雨明けしても良い気がするが。

仙台の最高気温は32.2℃と、もちろん今年の最高値。

県内では、内陸部の丸森町などで36℃の「猛暑日」。6月としては観測史上初の猛暑日となった。

しかし日暮れの時間に、県内は物凄い雷雨に見まわれた。

16時頃には、山沿いで雷雲が湧き始めており、だんだん発達。

仙台周辺は19時前から、土砂降りの雨と雷が鳴った。

空を見ると、稲光が縦横無尽に光っていて、積乱雲が一つでない事がわかる。

雷鳴はゴロゴロと言うより、バリバリ・ドカーンと言う感じで、砲撃みたいな凄まじい音。

青白い稲光に1-2秒で雷鳴が聞こえたから、ほんの2-3キロ先だったはずだ。

我が家周辺で落雷した様子はないが、かなりの雷雲だったから、あちこちで落雷はあっただろう。

雷雨は1時間程度で収まり、雷雲は北と東に移動して行ったようだ。

あんなに凄い雷雨は久し振りで、仙台周辺は16時現在でも気温は30℃あったから、上空には−10℃以下の寒気があったはずである。

雷雲の出来方から、間違いなく強い寒気があった。

雷雲は地上と上空の気温差が大きく、湿度が高いと発生する。

密度の低い上空に、暑く湿った空気が吸い込まれるように上昇し、湿度が上空で冷やされ水滴になり、雲を作る。

この上昇時に、摩擦で空気が帯電し、飽和状態になると空中放出し始める。つまり雷鳴・落雷だ。

積乱雲の中は物凄い上昇気流と下降気流が入り乱れており、飛行機が間違って中に入ってしまったら、その力で空中分解してしまうほど。

稲光は帯電出来なくなった電子が固まって放出し始めたもので、雷鳴は稲光が空中を走る時の「摩擦音」である。

間断なく稲光と雷鳴が起こるのは、いかに上昇気流と下降気流が激しくぶつかり合いをしているか、という事だ。

仙台は海が近いため、空気の流れが早く強いので、あまり積乱雲は出来ない土地柄なので、今日みたいな激しい雷雨は極めて珍しいのだ。

雨も一次的とは言え激しかったようで、我が家の集合住宅の階段に雨が吹き込んでおり、近所の人が慌てて窓を閉めたようだった。

明日も午後を中心に雷雨の可能性があると言う。

なんだか真夏の天気と同じで、とても6月とは思えなくなってきた。


週末金曜日、この暑さだもの帰りは冷たい飲み物を・・と思うだろうが、あの雷雨でちょっと出鼻をくじかれてしまった人もいたようだ。

泉中央「おへそひろば」の即席ビアガーデンでは、天空部分を避けるようにテーブルが動かされていた。

セルバテラスのダイニングバーも、雨が上がってようやくテラス席を出し始めていたが、少し暑いせいか、エアコンの効いた店内の方が賑わっていたようだ。

明日も晴れて暑いと言うから、「夕立」がなければ「涼」を求める人で混雑しそう。

私はもちろん「横目」で見る以外手段はなく、誰とも過ごす週末はない。



元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

激しい雷雨、君は大丈夫でしたか?

帰り路に当たったのではありませんか?

猛暑になってしまいましたが、水分補給や涼を遠慮なく求めて、我慢しないよう注意して下さい。

暑さは1週間程度続くと言いますので、体調管理にはくれぐれも気をつけて下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。





月日やは 過ぐは往けども 母父が 玉の姿は 忘れせなふも(万葉集巻二十 4379 足利郡大舎人部禰麻呂)








◎古代史探偵A(夏越しの大祓え・三輪山と大神神社)




6月は1年のちょうど半分、言わば折り返し点である。

今こそ「新暦」での6月だから、梅雨真っ盛りのジメジメした季節だが、旧暦を使っていた昔はちょうど新緑や田植えの時期に当たる。

古代において、日本では暦は天文暦ではなく「春秋年」を使っていた。

暦自体は史料等から、4世紀ごろには「十二支」で日時を表わす方法が大陸から伝わっていたと思われるが,社会全体では「春秋年」も普通に使われていていたと見られる。

「春秋年」とは、1年を「半年づつ」区切って「2年」分とみる暦で、春と秋と言う農作業における「種まき」と「収穫」時を大きな季節の節目と考えていた物である。

半年ずつ季節を区切ることは、今の日本でも風習として残されている。

例えば新年度は4月から始まるが、9月いっぱいで「上半期」「下半期」と分けて収支などを区切るのは、実は古来の「春秋年」の名残なのである。

信仰の世界、特に日本独特の「神道」においても、半年ごとの「切り替え」は「大祓い」として重要な儀式とされている。

現代は今頃の季節になってしまったが、6月即ち「上半期」の区切りは古代から行われており、「夏越しの大祓え」(なごしのおおはらえ)という儀式によって形該化されている。

奈良県桜井市にある「大神神社」は、全国の神社における「夏越しの大祓え」の中心となるべく存在になっており、発祥もここだと言う伝承がある。

大神神社は旧官幣大社で、式内社。

神社の「社格」としては、最も高い物であり、創建は「不明」である。

不明とは少なくとも「日本書紀」などに見られる「有史〕には既に存在が確認されるため、「それ以前」からあるのが確実だからである。

画像
            ↑大神神社拝殿(奈良県桜井市、筆者撮影)


「紀」においては、崇神天皇が国難に遭った時「大三輪の神」に神宣を窺ったと見えるから、少なくとも4世紀には「神社」として存在していたことは確かであろう。

今のところ史料から窺える国内でもっとも古くから存在する神社は、この大神神社と同じく奈良県天理市にある「石上神宮」である。

大神神社の主祀神は「大物主大神」である。

大物主とは、全ての頂点にある神の一つとされるが「国」の頂点にあると言う、いささか人為的な格を持つ。

最も大神神社では白蛇が大物主の化身であるとされ、具体的な真意は未だ不明である。

「日本書紀」だけでなく「古事記」「先代旧事本紀」には、大物主は白蛇であり、モモソ媛と結婚したりと時代が噛み合わない登場の仕方をするため、イマイチ姿を確立できない神と言える。

大神神社は三輪山をご神体とする「神奈備」信仰の典型であり、神社に「本殿」はなく「拝殿」である。

つまり三輪山が大物主自信と言う事である。

三輪山は「ボウル」を伏せたような、実に美しい円錐形の山であり、全国屈指と言うより恐らくは濃くない「最強」のパワースポットの一つと私は見ている。

大神神社の創建は、恐らくは2世紀前後に遡り、三輪山を信仰対象として麓に祀ったのは出雲王族の末裔であり、原ヤマト政権の創設者「ニギヤハヒ」であろう。

彼は、出雲王族の王スサノオの子である。

自分の「国邑」を建てるため、言わば父の「のれん分け」のように、出雲から新天地を求めてヤマトに「移住」して来た。

神話ではニギハヤヒは「天の磐船」に乗って降臨したとするが、当時の出雲は先進的文化を持っており、ニギハヤヒの一行はヤマトでは見たこともない大きく派手な船で河内から大和川を遡りヤマト入りした。

それが「天の磐船」に変化したのであろう。

ニギハヤヒはパワースポットこそ、平和な国の繁栄の源と知っていたので三輪山を発見し、そこに小さな国邑を起てたのである。

この時国の守護神として「聖域化」することで、ニギハヤヒは移民であることより「選ばれやって来た者」としての立場を確立した。

彼は「王」ではあったが、まだ小さなコミュニティであっただろう。

大神神社の周辺には現在も「出雲」「出雲荘」と言う地名が残ることから、彼に同伴して来た出雲の民が「原ヤマト政権」初の国民になったことだろう。

遠く故郷を離れ新天地に赴いた彼らと、元々ヤマトに住んでいた人々との間に軋轢があってはならないと考えていたニギハヤヒは、恐らくは以前から「神」と崇められていた三輪山を神格化する事で信頼を得たのだと思う。

三輪山の頂上には4世紀から5世紀にかけての遺跡が確認されているが、周囲からはもう少し古い遺品も発見されている。

三輪山の頂上付近は「磐倉坐」と言って、神が坐します場所であるとされ、今もって「禁足」の場所になっている。

三輪山自体が禁足地扱いになっており、参拝者やハイカーによる勝手な登山や道以外の場所に立ち入りは厳禁である。

登山は摂社の「狭井神社」で申し込み、私物はロッカーに預けて登山する。

登山慣れした人であれば、片道40分ほどで頂上部まで上れるが、往復3時間以内に狭井神社に戻る必要がある。

入山を申し込むとお祓いされ、注意事項を言い渡される。

登山中における飲食・喫煙はもちろん厳禁であり、写真撮影も不可。

あくまで「磐倉坐」までの参拝登山なので、物見遊山的な要素は必要ないと言う訳だ。

これは1,600年以上も前から守られ受け継がれてきた「信仰」と、それに対する「敬意」である。

恐らくはスマホを片手に「記念撮影ぐらいいいだろう」と思う輩もいるかも知れないが、信じる信じないは別にして「敬意」を払わぬ者はまず「警告」を受け、それでも聞かぬ場合は・・・・これ以上はご想像にお任せするが、「本物」のパワースポットにおいて、観光の思い出だけに終始すると願いが叶うどころか大きな重荷を背負わされることは間違いない。

私が身を持って体験済みなので、間違いない。

メディアなどで良く「パワースポット」を紹介されているが、それは良いとして紹介するメディア自身が良くわからず紹介する事自体が反対である。

むしろきちんと見分けの付く人が書く、ガイドブックなどを「参考」にする方が良いと思う。


そもそも神道とは「宗教」ではなく「信仰」である。

同時に何故「道」なのかを、考えて頂きたい。

パワースポットを発見した古代人は、人間は自然もっと大きな宇宙と「生命サイクル」がリンクしていると考えた。

即ち太陽も星も、月も、地上の生命と密接な関係があり、存在は相互に作用する事で保たれていると考えたのである。

驚くことに、それは「正解」である。

あくまで「理屈上」と言えば良いのかも知れないが、そう言われれば皆さんもそうかも知れないと思うであろう。

だが地上において、唯一人間だけが「欲」を持ち、それを優先させて生きている。

欲=生命力とも言えるのだが、結果的には独りよがりの独占欲でもあり、古代人はそれが神の怒りに触れると考えていた。

彼らにとって神とは、人間を育む者即ち地球であり宇宙であった。

しかし人間はついそれを忘れ、自分中心に世界を生きたがり、いつしか命は「穢れる」と結論に達した。

ならばその穢れを「反省」することで綺麗に落として身を清め、新たな生命力で生きて行く・・・反省とは神に対して誤る、と言う言い方は正しくないが、「襟を正す」行為を自ら興す事だ。

それが「大祓え」の発端なのである。

普段からお祓いすればいいのだろうが、そうもいかないので、せめて半年に一度神社を訪れ、神妙な気持ちで半年間の自分を振り返ることで反省し「穢れ」を落とす。

これが大祓えであり、6月は夏場なので「夏越し」と区別する。

もう1回はもちろん「新年」であり、皆さんならば「初詣」の経験はあるだろう。

実は「初詣」の本来の目的は「大祓え」であり、年末中に済ませるものである。

下半期の「穢れ」を清めた時点で、改めて初詣となるので、本来は年末年始2度参拝するのが正しい。

大祓えの歴史も不明であるが、私は大神神社にあると考える。

上の写真はまさに今頃の撮影で、境内には「茅の輪」と呼ばれる茅で編んだ輪が置いてある。

「茅の輪」自体は全国の神社で見られるものだが、大神神社は「三輪」にちなんで「三の輪」である。

くぐるのはなかなか難しく、初めてだと混乱するが、一番大きな真ん中を中心に「8の字」を描くように輪をくぐる。

茅の輪をくぐることで「穢れ」を清めることになるのだ。

「三の輪」はここだけのもので、霊験にあやかりたいとこの時期は全国から参拝者が訪れる。

「夏越しの大祓え」は「6月末日」の事を言うが、大神神社では「茅の輪」はだいたい6月中旬ごろから7月の第一週位まで安置している。

特に賑わうのは6月最終週で、今年は明日30日が土曜日だから混雑する事だろう。

「穢れ」とはあらゆる意味を持つ。

「気枯れ」とも言う。

これならばわかりやすいだろう。半年と言うスパンで見れば、人は仕事等のストレスで、意識しなくとも疲れが溜まる。

お正月に「今年こそ良い年に!」と願った事など、ほとんど忘れている。

ちょうど暑くなりかけの今頃は、それに慣れない身体が悲鳴を上げやすい時期でもある。

正に「気が枯れる」時期が今頃であり、魂を「浄化」させることで生気を取り戻すのだ。

また女性が古来から「穢れ」と言われたのは、「月のモノ」があるからだ。

誤解を恐れずに言わせて頂くが、女性の血は古代から「穢れ」ているると考えられたが、医学上この考えは間違いではない。

古代人も恐らくは女性の「月のモノ」が、血液の交換であることは知っていたはずで、当然排出される血液は「穢れ」であったのである。

しかし女性自身が「穢れ」ている、という発想は古代にはなく、体の外に出る血液は皆「穢れ」ている物とされた結果である。

それを後世の者が「月のモノ」がイコール「穢れ」と勝手にすり替えることで、女性を蔑視したのである。

最近大相撲の土俵に女性が上がれない風習が取りざたされ、「相撲の神が嫌う」となんとも説得力に欠ける言いわけを言っていたが、根本には男子社会の女性蔑視「セクハラ」があると、私は考える。

少なくとも古代において、神々に男女の区別はなく、女神が差別された経緯は全く見えない。

「穢れ」を浄化するのは「水」である。

日本人は有史以前から「万物は水」と言う哲学を知っており、水こそが「神」として崇めることで大切にしてきた。

日本は今も世界に誇る「水の国」である。

火山・地震が多いと言う苦しい状況の裏側には、そこから生まれる「水」が日本人を災害や国難から守って来たと言える。

大神神社には三輪山を取り囲むように「摂社」がたくさんあり、いずれも創建期から併存していたものと思われる。

三輪山は水源地であり、山中のあちこちに「泉」が湧いている。

原ヤマト王ニギハヤヒは、多数の泉こそパワースポットの証拠であると知っていて、ここを自らの国邑に定めたのである。

泉が湧くのは様々な理由があるが、鉱脈など地下の岩盤や特殊な地層による場合が多い。

摂社の一つ「狭井神社」は、まさに三輪山の「水神」を祀るものであり、拝殿の裏側には「御神水」が飲めるようになっている。

滑らかな軟水で、胃腸病や神経病に効くと言われ、実際効能を感じた人々の信仰が絶えない。

定期的に水を汲みに来る人も多く、健康に良いと評判が高い。

画像
             ↑狭井神社(ウィキペディアより)

水は物理的に人間には必須であり、適度な水分補給は生きる上で根本である。

例えば仕事などで疲れによる肩こりや腰痛など、筋肉の痛みは「水」で解決できると言う整骨師もいる程。

確かに人体の60%以上は「水」で出来ているから、生命維持には当然の事なのだ。

水が生命の根本であり、それが恵まれている日本は古代においても「当然」と思うことなく、ありがたいことであると認識があった。

パワースポットの最も基本は「水源」である。

蒸し暑い今の時期だからこそ、ぜひ「大祓え」に訪れて見ることをおススメしたい。

三輪山は「日本最古の道」と呼ばれる「山の辺の道」の出発点でもある。

大神神社から狭井神社を通ると、急に人一人しか通れないような山道に差し掛かり「山の辺の道」となる。

30分ほど歩くと「檜原神社」に到着するが、ここも大神神社の「摂社」であり、まだ三輪山の懐である。

檜原神社は4世紀、疫病・災害で国難に合った10代崇神天皇が「神宣」を聞いたところ皇祖神「アマテラス」をきちんと祀っていないからだと言われ、天皇はその鎮座場所を探させた。

詳細は省くが、最終的には「伊勢神宮」に落ち着くことになるのだが、そこに行きつくまで何か所か鎮座された場所があり、それを「元伊勢」と呼ぶ。

檜原神社は最初の「元伊勢」だった可能性が高く、伊勢神宮に安置された後「分祀」されて現在に至っている。

ここで最初にアマテラスを祀ったのが「豊鍬入媛」と言う「巫女」であった。

なので檜原神社はアマテラスが媛と「同格」と言う、不思議な神格を持つ。

鳥居を3つ重ねた「三ツ鳥居」が特徴で、もちろん本殿はなく、背後の三輪山が「御神体」である。

画像
               ↑檜原神社(筆者撮影)


なお檜原神社の「一の鳥居」の先に延びる参道は、西に向いており檜原神社自体「西向き」と言う非常に珍しい配置を取る。

参道の延長戦には、奈良のもう一つの大きなパワースポット「二上山」が延長にあり、三輪山と二上山を結ぶ線を注視する研究家も多い。

画像
             ↑檜原神社から二上山を望む(筆者撮影)


三輪山と二上山は奈良盆地の東と西の「淵」に当たる場所で、これを「日の出」と「日没」の象徴とした「太陽信仰」だとする意見があるが、古代日本において信仰の対象に「太陽」は見当たらない。

私は日本人のそれは、先に書いたように「水」であり、三輪山と二上山を太陽の道筋に例えるのは違うと思う。

二上山は傑出した鉱脈を持つ古い火山であり、採掘も行われていた。

鉱脈は二上山から南、葛城山系まで広がっており、巨大なパワースポット帯である。

むしろパワースポットを知っていたからこそ、「東の三輪山」と対をなす二上山が神格化されたのであろう。

同じく大神神社の摂社、西南部に当たる「久延彦神社」の手前にある展望台に上るとよくわかる。

底からは遠く二上山と葛城山、そして「大和三山」の畝傍山・耳成山・香具山が美しい角度で見える。

先祖を非常に重んじた崇神天皇は、ヤマト政権の中枢をルーツであるニギハヤヒと同じく三輪山の麓に移した。

纏向遺跡が恐らく崇神天皇に関係ある施設であり、4世紀の皇室は三輪山をシンボルとして君臨していた。

奈良盆地を全て見渡せる三輪山だからこそ、支配が出来たのである。

画像
           ↑三輪山から望む二上山と大和三山(筆者撮影)


画像
            ↑展望台から見る三輪山山頂部(筆者撮影)


「夏越しの大祓え」に訪れたならば、檜原神社はもちろん、この展望台も是非足を運んで見るとよい。

狭井神社の鳥居の脇から入るのでわかりやすい。

奈良盆地を見て、180°振り返ると三輪山の山頂が手に取るように見える。

柔らかな曲線で構成され、山と言うより丘の頂上に見えなくもないが、なぜか圧倒的な存在感を見せるのだ。

なんとも言いようのない、それでいて安心感を伴う様な感動を必ず覚えるはずだ。

同時にあなたは三輪山と大神神社が、いい意味で「ただ事ではない」パワースポットであることを認識するはずである。

画像
     ↑奥に葛城山、左に畝傍山、右に耳成山。さらに右端には大神神社の大一の鳥居(筆者撮影)




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
古代史探偵A 夏越しの大祓え・三輪山と大神神社(6月29日 晴れ時々曇り 32℃) CRECHANのブログ 「風の道」/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる