CRECHANのブログ 「風の道」

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zoom RSS 飛行機ネタ・フランス製の旅客機カラベル(7月9日 曇り時々晴れ 27℃)

<<   作成日時 : 2018/07/10 02:26   >>

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晴れて暑くなる、と言う予報は見事外れ。

湿った海風が入って、終日曇りがちの空模様だった。

蒸し暑いには違いないが、何とか凌げる気温に止まった。

週末の西日本豪雨は「平成最悪」の被害となり、今日までに死者100名以上、行方不明者数十名と言う大惨事になった。

最も死者が多かったのは広島県で、愛媛県、岡山県が続く。

街の3割が水没した倉敷市真備町では、今日になって水は引いたものの、凄まじい量の土砂が街を埋め尽くしていた。

流れて放置された車は、車体の1/3が土砂に埋まっており、単なる洪水ではなく、山や川の土が根こそぎ流れて来た事がわかる。

破壊された住宅は原形を留めておらず、街にはガレキだらけ。

誤解を恐れずに言わせて貰えば、東日本大震災の津波被害と全く同じ光景で、被災者の方は思い出したに違いない。

被災地では電気や水道と言ったインフラが停止しており、被災地周辺では道路・鉄道の不通で物流が停止したまま。

倉敷市によるとボランティアの人々が食糧や衣類を運び込んでいるそうだが、直接被災地に入れないため、近くに荷物を下ろしてしまい、交通障害を引き起こしていると言う。

またしても行政と民意のすれ違いが露呈した形だが、「正式な受け入れ」がどうのと言う前に、善意はありがたく頂くべきで、一時的預かりや案内を優先させるべきだろう。

災害の処理は行政の義務だが、「縦割り」社会の行政はいつももたつく。

お役所仕事の欠点だが、非常時は責任者の云々より、現場の判断に委ねる事が必要ではないか。

ある震災では、自衛隊の救援に関する初動体制にもたつき、業を煮やした自衛隊の指揮官が「規定違反」と知りながら、救援に出動した事があった。

行政の仕組みや責任の所在は大切だが、とりあえずと言う行動がとれるようにしていくべきだ。

皮肉にも北陸を含む西日本は、今日「梅雨明け宣言」となった。

向こう一週間は安定した晴天が続き暑い、と言う予報からだが、被災地ではなんの慰めにもならない。

行方不明者も生きていればともかく、亡くなっていれば暑さで遺体の腐敗が進み、余計発見しにくくなる。

夜の時点で80人以上が行方不明になっており、中には孤立した住宅に残っている人がいそうだが、それも確認を急がないと犠牲者になってしまう。

最も雨が酷かった7日は、天の川を挟んで織姫と彦星が一年に一度出逢う日。

だが地上の川はまさに「反乱」を起こして、かけがえのない命を多数奪い、家族や友人、恋人を引き裂いた。

皮肉、などの陳腐な言葉では語れまい。



飛行機ネタ。

いつも言う通り、航空機の開発と言うのは一種の「博打」である。

必要性に迫られた戦時ならともかく、一応平和な時代においては、最後まで結果が予想出来ない。

特に第二次大戦後、世界はジェット機時代に突入したが、全く概念の違うものであったため、失敗・犠牲の上に成り立っていた。

しかし戦時でない以上、航空機開発は莫大な「経費」と時間がかかるものとなり、技術はもちろん資金・技術者・資源などが充分持ち合わせていないととても開発は出来なかった。

戦時まではドイツや日本も独自の技術を持ち合わせていたが、敗戦を理由にしばらく開発は禁じられており、戦勝国も戦時経済の痛手は解消していなかった。

莫大な資金や資源を持つアメリカとソ連以外、独自で新しい時代の航空機開発が出来るのは、イギリスとフランスぐらいで、こうした偏った状態は60年代まで続いた。

軍用機だけでなく、民間機即ち旅客機もジェット機という「革命期」を迎え、各国が開発を開始したが、意外にもアメリカとソ連は消極的だった。

未知数のジェット旅客機よりも、信頼性のおけるレシプロ旅客機を好んだのである。

しかしグローバル化は、航空機が特別な物でなくなりつつある事を強要し、旅客機はより早くより遠く飛べる事が必須になって来た。

世界で初めてジェット旅客機を実用化させたのはイギリスで、50年代前半にデ・ハビランド社が開発した「コメット」を就航させた。

しかし大型ジェット機自体が世界初であり、ジェット機の利点を生かすには密度の薄い高高度を「巡航」する必要性があった。

軍用機ならともかく、民間機である以上酸素の薄い高高度飛行には、「与圧」構造が必須である。

与圧構造は、大戦中アメリカが実用化していたが、当然レシプロ機であり、その数倍の速度で飛ぶジェット旅客機では完全に「卓上の理論」しかなかった。

「コメット」は時速800キロ以上で巡航し、世界地図を一気に縮小させた。同時にレシプロ機を過去の遺物に押し下げてしまったのだが、就航後程なくして4度も墜落事故を起こしてしまった。

いずれも高高度を巡航中に、突然空中分解を起こすと言う凄惨な墜落事故であった。

事故機の残骸を調べた所、四角い客室窓が与圧構造の収縮・膨張に耐えられず、機体に金属疲労を起こしたからであった。

高高度では空気が薄いだけでなく、気温も低く、逆に高速で飛ぶ機体の表面は摩擦熱で高温になるため、地上と高高度を行き来すると機体は激しい応力効果に晒された。

四角い客室窓は、その応力を分散できず、偏って力がかかる事を、まだ見抜けなかったのであった。

「コメット」は輸出分を含めて全て運航停止となり、客室窓を楕円形にした改良型に生産が切り替えられた。以降事故はなくなったが、パイオニアとして「一か八か」の賭けは多数の犠牲を払った不名誉な物になってしまったのだ。

世界初のジェット旅客機と言う名誉は、イギリスにとって実に苦々しいものになってしまったのだった。

しかし「コメット」の尊い犠牲は無駄にはならなかった。

ジェット旅客機を開発しようとしていたフランス、そして米ソにはありがたい「教訓」になったからである。

常日頃何かとイギリスをライバル視していたフランスは、初のジェット旅客機と言う名誉は逃してしまったが、その教訓は得難いものとなって、慎重な開発を進める事が出来た。

「フランス至上主義」は、イギリスを見返すチャンスと見て、ジェット旅客機の開発を急いだ。

設計は「シュド・アビアシオン」(南航空機工業)が担当し、「SE210」と言う称号が与えられた。

原形機は55年に初飛行し、「カラベル」と名付けられた。

シュドはコメットのように、いきなり長距離用で無理をせず、ヨーロッパ域内を飛行出来る「短距離旅客機」として開発した。

画像
          ↑エールフランスのカラベル(ウィキペディアより)


「カラベル」は4発機のコメットと違って、双発機で、最大の特徴はエンジンが胴体後部につけられた「リアエンジン」方式であった事だ。

ジェット機を開発した大戦中のナチス・ドイツでは、エンジンを主翼に吊り下げるか付け根に取り付けて実用化したが、バランスを取ればリアエンジン方式の方が優れていると言う理論を持っていた。

リアエンジン方式だと、主翼に重量の負担は一切かからないため、揚力の安定性は抜群に優れている。

エンジンの為に主翼を強化する必要がないので、軽量化も可能になる。

主翼は「飛ばす」事に専念出来るのである。

ただリアエンジン方式は、当然ながら機体の重量バランスがデリケートで、「テイルヘビー」は避けられない。

重心を取るには、胴体を長くして、主翼はかなり後ろに持って来る必要があるのと、その割には機内スペースが小さくなるという欠点もあった。

だが轟音を発するエンジンが尾部にあると言う事は、機内の静粛性に優れていると言う利点もあり、シュド社は敢えて「賭け」に出たと言える。

イギリスに花を持たせたかったのか、エンジンは何故かイギリスの「ロールスロイス・エイボン」を採用した。

融通性と言うか、至上主義の割にはちゃっかりとライバルの作ったエンジンを使う所が、ラテン系のおおらかさなのだろうか。

リアエンジン方式なので、尾部の水平尾翼は少し上に持ち上げられ、垂直尾翼と「十字型」になった。

逆にエンジンの制限がなくなるので、リアエンジン方式は必要に応じて胴体を「ストレッチ」(延長)しやすいという利点も持っていた。

カラベルは史上初の実用化「リアジェット機」としての名誉を持つことになったが、ジェット旅客機としてのコンセプトや基本的なメカニズムは「コメット」を大いに参考にしており、「初のジェット旅客機」の名誉と引き換えに「殺人機」の汚名も受けたコメットに対し、敬意を表していたと言えよう。

シュド社は良い意味でコメットの失敗部分を徹底的に研究しており、フランス初のジェット旅客機としてもテスト飛行は順調であった。

コメットを踏まえた開発経緯は世界も知るところとなり、世界のエアラインから契約交渉が舞い込んだ。

シュド社は200機が採算分岐点と試算していたが、その後このノルマは軽々とクリアする結果となる。

特にリアエンジン方式と、水平尾翼を持ちあげた方式はフランスが「特許」を取る事となり、しばらくの間「特許料」が発生してフランス政府に大きな利益をもたらしたと言われる。

初就航は58年と、初飛行より時間がかかったが、これは初めてのジェット旅客機を操縦する乗務員の訓練に時間をかけた結果であった。

カラベルを最初に発注したのは、フランスのフラッグキャリアで当時は国営だったエールフランスと、デンマーク・ノルウェー・スウェーデン3国の共同エアライン・スカンジナビア航空だったが、両社は共同で乗務員・整備市の教育と訓練を行い、安全運航に万全を喫した。

最初の生産型「1A」は、標準航続距離は約1,800キロで座席はモノクラスで99席、2クラスで80席、3クラスで64席であった。

両者ともヨーロッパ域内の路線に投入した為、モノクラス運航が主体であったが、60年代以降はアフリカや中東の旧フランス植民地へ投入されるようになり、2・3クラスの運航も増えた。

同時に機体はすぐ改修が行われ、「エイボン」エンジンのパワーアップ型を搭載した「カラベル3」に生産が移行し、初期の「1A」もエンジンを換装して「3」仕様に改修されている。

カラベルはシュド社・フランス政府の予想を良い意味で裏切り、受注を伸ばすようになった。

同時に「ストレッチ」化も推進され「4」型では、胴体が1メートル延長され、モノクラスで104席、2クラスで100席が設けることができた。

更に燃料の増加が盛り込まれ、標準で2,500〜2,800キロに延長されると短距離機ではなく「中距離機」としても使えるようになった。

60年代に入ると「特許料」を支払って開発したアメリカ、ダグラス社の「DC-9」が生産に入り、機体が寄せられた北米でのセールスは失敗に終わったが、当時国内線専門のエアラインとしては大手だったユナイテッド航空が20機以上を発注し、アメリカ国内線に就航させている。

画像
        ↑ユナイテッド航空のカラベル6-N(ウィキペディアより)

アメリカへのセールスの失敗は、エンジンがイギリス製であったことであった。

60年代にはアメリカもジェット旅客機は旺盛に開発していた時期であり、自国産業の保護のために丸ごと外国製の機体は毛嫌いされており、アメリカ政府も横やりを入れていたのである。

フランスは、当時アメリカでは大手だった「TWA」にカラベルの売り込みを図り、航続距離の延長型を提案していた。

当時は大西洋横断や大陸横断するには大型4発機のボーイング707かダグラスDC-8しかなく、カラベルでは直行は無理だった。

しかし小型双発機である以上、上記の2機種よりは運航経費は安く、途中給油のための経由地を設けても需要はあると説得しており、TWAも乗り気だったと言う。

例えばニューヨーク〜パリ間ならば、途中カナダのグースベイかアイスランドのレイキャビクを経由すれば良い訳で、利用者の分割も可能であった。

当時の世界は経由便は珍しくなく、全く縁のない国の乗客が「区間利用」するのも普通であった。

また707やDC-8だとしても、機内は単通路の狭い時代で、例え直行便でも大西洋横断便は7〜8時間かかっていた。

この長い時間、狭い機内で過ごす乗客のストレスが問題になっていて、多少時間がかかっても途中で休憩できる経由便は広く受け入れられていた時代であった。

しかしTWAにとってカラベルは完全な「外国機」であり、上記の理由から導入は見送られていたのであった。

そこでカラベルのエンジンを「エイボン」から、アメリカP&W社製の「JT-8D」に換装し、さらに胴体をストレッチした「10」型を生産に移した。

「1A」からの初期型は、全長が31〜32メートルあったが、「10」型以降は33メートルに延長し、積載量を増加させた。

特に新しい「JT-8D」エンジンは、DC-9・B737にも採用された当時最新鋭の低バイパスターボファンエンジンで、堅実で頑丈ではあったが設計の古い「エイボン」に比べ、燃費や騒音、出力などは大幅に向上した。

10型以降になると、ヨーロッパ以外のユーザーがカラベルを導入し、特に南米やアフリカ、アジア諸国でも運用されるようになったのである。

特に10型はエンジンのみならず、APU(補助動力装置)、操縦システムの刷新が図られ、車輪にはアンチスキッド装置が標準装備となった。

また途上国など、滑走路の短い空港での運用を考慮し、尾部には「ドラッグシュート」がオプションで用意されている。

ドラッグシュートとは、通常戦闘機や攻撃機がブレーキの補助として使う「パラシュート」で、旅客機のように逆噴射装置がない軍用機には必須である。

何とカラベルは旅客機ながらそれを装備出来たのである。

装備したエアラインは限られたようだが、意外にもエールフランス機が採用している。

保有する全機ではなかったようだが、アフリカ船などでは使う事もあったようだ。

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     ↑ドラッグシュートを開いて減速するエールフランスのカラベル(ウィキペディアより)


ドラッグシュートを使うと、自動的に収納する事は出来ない。

減速後も引っ張っていると「ブレーキ」になって、機体が停止してしまうので、誘導路に入った時点で「切り離す」。

その後職員が回収して、手で折り畳み、機体の収納部に格納する。

これは現在の戦闘機でも同様で、使い捨てではないが使うと戻すのに時間がかかる。

なのでカラベルは止むを得ない時に使用しただけだったようだ。

旅客機でドラッグシュートを持っているのは、旧ソ連初のジェット旅客機「ツポレフ104」とこの「カラベル」だけである。

万が一の事を考えると、現在の旅客機に装備してもよさそうな気がするが、もちろん以降装備した機体はない。

カラベルの最終型は「12」型で、再びストレッチされ、全長は初期型より4メートルも長く36メートルになっていた。

エンジンもパワーアップされ、座席もモノクラスで130席、2クラスで110席前後と、現在の標準程度までに成長した。

カラベルを導入したエアラインの中には、ブラジルの「ヴァリグ・ブラジル航空」がリオ・デ・ジャネイロ〜ニューヨーク線、タイ国際航空がバンコク〜東京線などの完全な中距離路線に投入するエアラインも現れ、事故もなく評判の良い旅客機であった。

しかし70年代には時代遅れの感も否めず、フランス政府は新しい旅客機の開発をメーカーに委託し、軍用機メーカーの「ダッソー」が手を挙げた。

その為カラベルは72年に生産停止となり、後継にはダッソー社の「メルキュール」が採用された。

同時にシュド社は、「ノール・アビアシオン」(北航空工業)と合併して「アエロスパシアル」になり、世界初の貯油音速旅客機「コンコルド」の開発に専念する事になる。

「メルキュール」は120席級の小型旅客機で、外観はボーイング737−200とそっくりで、大きさもほぼ同じであった。

にもかかわらず性能は完全な「短距離機」であり、737より融通性に乏しく、従来型の機体はカラベルのようにストレッチは難しかった。

「メルキュール」は、フランスの国内線エアライン「エール・アンテール」が12機採用したがそれだけで、現在まで世界最少の生産数の旅客機と言う記録を持つ。

一方カラベルはパワーアップした6型と、ストレッチした10型以降が良く売れて、72年の生産終了時には合計279機を数えていた。

最終号機はエール・アンテールの12型で、採算機数を79機も越える成功作になっていた。

画像
     ↑エール・アンテールのカラベル12(ウィキペディアフランス語版より)


特許料と、減価償却のおかげでカラベルは大きな利益をもたらすことになり、「コンコルド」の開発に潤沢な資金を提供する事になる。

同時にフランスの航空技術が、軍・民双方とも優れている事を証明した「武勲機」でもあった。

カラベルは非常に頑丈な機体で定評があり、特徴的な「おむすび型」の客室窓は応力効果をもたらすとともに面積が広く、乗客に大きな視界と明かりをもたらした。

座席は2−3の5列配置で、上級クラスは2−2の4列。

これはライバルのDC-9と同じだったが、カラベルの方が若干胴体が太く、機内は広かった。

「おむすび型」の窓は、コメットの事故を教訓にした結果だが、デザイン的にも優れておりいかにも「フランス機」らしいおしゃれさを醸し出していた。

70年代になると、大手エアラインからは引退したカラベルだが、海外のユーザーなどは80年代まで定期便として運航していたエアラインもあり、ヨーロッパではエール・アンテールが80年半ばまで使用していた。

またチャーター専門エアラインでは更に長生きした機体もあり、デンマークの大手チャーターエアラインのスターリング航空では90年代後半までカラベルを保有していた。

日本では上記のようにタイ国際航空が、定期便として70年代後半まで毎日便として羽田に乗り入れており、当時の羽田空港では「唯一のカラベル」として有名だった。

既にボーイング747も登場していた時代だが、流麗で特徴的なラインを持つカラベルは判別しやすく、詳しくない人でも「フランス製」と言う事が納得できるほど、よく目立ったと言う。

画像
     ↑最も遅くまで現役にあったスターリング航空のカラベル12(ウィキペディアフランス語版より)

カラベルは「リアエンジン方式」が有効であり、成功する事を如実に示した画期的な機体であり、以後旅客機だけでなく、ビジネス機、軍用機に大きな影響を及ぼした機体であった。

フランス機で、小型機であることから日本ではあまり馴染みがないように思われるが、先に書いたようにタイ国際航空のカラベルは有名だった。

「フランス至上主義」に見えながらも、実際には「コメット」を参考にすることで、堅実とも言える設計は見事であった。

初期のジェット旅客機は、運用面も含め事故が多かったが、カラベルは目立った事故は起こしていない。

80年代には殆どの機体が引退したが、スターリング航空のような例の他、未確認情報ながらアフリカ・コンゴ民主共和国のエアラインでは、少なくとも2005年ごろまで2機のカラベルが不定期に飛んでいた、という情報がある。

またフランス・チャドが政府専用機として導入している。

カラベルは20社以上に採用され、50年代の旅客機としては最も成功した機体の一つである。

同時に「フランスの旅客機」としては、最初で最後の成功作でもある。

「メルキュール」はたった12機で生産打ち切りとなり、以後フランスが独自で開発・生産した民間機は小型機以外ない。

時代の流れで国際共同開発になったからであるが、80年代になるとドイツ・スペインなどと協力して「エアバス」社を起ちあげた。

当初セールスに苦しんだエアバスだが、現在ではボーイングと世界を二分する巨大旅客機メーカーに成長した事は言うまでもない。

エアバス社の立ち上げには「アエロスパシアル」「ダッソー」も資金提供しており、「フランス機」の血筋はエアバス機に受け継がれている。

蛇足だがフランス人にとってエアバス社は「フランス企業」であり、機体は「フランス機」と言う自負がある。

確かに本社は南フランスのトゥールーズにあり、工場もある。企業国籍はフランスであるが、ドイツにも工場があるし、現在はアメリカと中国にも工場がある。

いずれも現地法人化されているので、れっきとしたフランス企業とは言えない気がするが、とにかくフランスでは「フランスの企業」と思われていると言う。

A380/330/350と言った、エアバスを代表する大型機はトゥールーズで生産されていて、設計開発は小型の320シリーズも含めて本社で行われている。

最も大きい現地法人の「ドイッチェ・エアバス」では、ナローボディ機全て、アメリカと中国工場は機種限定で生産されているが、確かに「ヘッドクォーター」はフランスである。

なのでフランス人の言い分も、あながちウソではない。

それは至上主義と言うより、誇り・自信であろうか。

エアバス機は共通して、フレンチテイストのデザインを持ち、カラベルのどこか共通する者を感じるのは私だけであろうか。

私がもう少し早く生まれていれば、一度で良いから乗ってみたかった飛行機の一つがこの「カラベル」である。





月曜日、街はさすがに控えめ。

夜泉中央のアリオに行くと、珍しくお惣菜や弁当がたくさん残っており、隣のセルバも同様だった。

雨が降った訳でもなく、特別客が少ない理由が見当たらないが、売り場もアテが外れたらしい。

毎日食事で悩む私には大歓迎で、オール半額は嬉しい。

冷蔵庫に入れてチンするつもりならば、明日まで持つので、2日分のおかずを購入した。

ついでにセルバでも・・と思ったが、金銭的に余裕はないし、それ以前に欲深くしても一人では食べきれない。

母がいれば3日分・4日分と言って買えるけど、一人分ではいらない。

1カ月に1度くらいはこういう日があるが、ここしばらくは中々なくて困っていた。

我慢していたご褒美に思えてしまうが、もちろん偶然だろう。

でも何故大量に残るほど、客入りが少なかったのか。

どうせ月末になればまた飢餓に遭遇するので、食べられる時に食べておきましょう(笑)。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

蒸し暑い1日でしたが、大丈夫ですか?

君も今はすっかり夏姿になったと思います。

暑いと室内ではエアコンが効きすぎる場合もあるので、服装には気をつけて下さい。

失礼ながら、20歳と時と違って身体は、ある意味敏感になっていると思います。

君の事だから、体調には気を使っていると思いますが、充分注意して下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。




うべ児なは 吾に恋ふなも 立と月の のがなへ行けば 恋しかるなも(万葉集巻十四 3476 雑歌)




☆今日のバス

258号車 05年式いすゞエルガ(LV280N1) 泉営業所

宮交の280系エルガの最終シリーズの1台。元々は「1065」で登録され、富谷に配属されていた車輛。

意外にも泉営業所に280系エルガは、富谷から移動したこの258号車と254号車(1063)、257号車(1064)の3輌のみ。

V型8気筒エンジン搭載の大型路線バスとしても、最後のシリーズである。

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