CRECHANのブログ 「風の道」

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zoom RSS 飛行機ネタ・ダッソー唯一の旅客機メルキュール(7月10日 晴れ時々曇り 31℃)

<<   作成日時 : 2018/07/11 02:20   >>

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非常に蒸し暑い一日で、一週間振りに「真夏日」になった仙台。

朝は部屋が暑くなって目を覚ました。

午後からは少し強めの風が吹いたので、いくらか暑さは和らいだ。

だがこの風は県北西部の山沿いに積乱雲を作る素となり、夕方一時「土砂災害警報」が出された地域もあった。

仙台もほんの僅かな時間、小雨がパラついた時間があったが、本格的な夕立にはならなかった。

夕方に空を見上げて驚いた。

青空が出ていたが、上空の雲が「羊雲」(うろこ雲)だった事だ。

私は今年初めて見た。羊雲は歌にもあるように、「秋」の雲である。

比較的高い場所に出来る「高層雲」の一つで、冷たい空気が安定しつつ流れ込んでいる時に出来る。

今日は地上が暑く湿っており、冷たい空気の流入で積乱雲が出やすくなったと思われるが、上空では早くも「秋」の準備が始まりつつあるのだ。

梅雨明けもしていないのに、そんなバカな…と思うが、やはり「季節の前倒し」は確実だと思う。

何度も言うように、先月末から続いた猛暑が、仙台にとっては「今年の夏」で、物理的には最早「夏の終わり」が近づいている気がする。

西日本豪雨は今日までに死者130人以上、行方不明者50人以上になり、最悪200人以上の死者の可能性が出て来た。

水は引いたものの、片付け自体が全く進まず、被害の状況自体が把握出来ていない。

また梅雨明けした現地は猛暑で、避難所にエアコンがなく、体調を崩す人も増えている。

断水が続いていて、泥の洗浄すら出来ていないと言う。

夕方には広島県で、突然川が決壊して緊急避難情報が出た地域があり、報道ヘリが駆けつけた時には街中が泥水で溢れており、今頃になって新たな被害が出始めている。

「バックウォーター現象」と言うそうだが、雨が止んで暫くしてから水源に近い山の中で土中の水が浸み出して洪水になると言うもの。

あまり聞かない現象だが、それだけ今回の大雨は特殊だったと言う事だ。

台風の被害より遥かに甚大で、水と言うのは命を育むだけでなく、命を奪い破壊もする「もろ刃の剣」と言う事だろうか。

「なんでも溶かす薬品」と言うと、硫酸とか塩酸を思い出すが、実際にはそうでもない。

強いて言えば、それは「水」だと昔聞いたことがある。

成るほど金属も大半が化学反応を起こして変化するし、有機物も時間はかかれど水に浸っていればいつかは腐食してバラバラになってしまう。

水は生物にとって欠かせない物だが、その逆もありうる訳で、決して侮ってはいけない。

被災地では断水が続き、暑さで入浴できない状態も続いている。

電気は復旧したが、水道の復旧は目処が立っていない。

こうした状況から、海上自衛隊の護衛艦4隻が解放され、艦内の浴場を被災者のために提供したと言う。

東日本大震災は寒い時期だったので、入浴に関してはそこまで深刻ではなかった。

私の自宅は電気の復旧に5日、水道に6日かかったが、ガスは21日もかかった。

その間入浴はもちろん、調理も出来ず、せいぜい電気ポッドでお湯を沸かすのが精いっぱいだった。

洗髪は水で我慢し、入浴は濡れたタオルで拭くだけだった。

それでも子供のいる家庭などは入浴させない訳には行かず、大変だったと聞く。

幸い一部のスーパー温泉などが震災後1週間程度で再開し、無料開放したが、私と母はガスの再開まで我慢した。

体調の不良はなかったけれど、さすがに3週間も入浴していないと汚れていて、初日は二人分のお湯を入れ替える程だった事を思い出す。

こればかりは「防災」として準備しておくことは出来ず、いつかそういう事もあるかも知れない・・と覚悟しておくしか方法がない。

一時も早く行方不明者の安否が明らかになるとともに、被災者の皆様方の健康と1日も早く「日常」を取り戻す事を,心からお祈りいたします。



飛行機ネタ。

実は「航空大国」「航空先進国」のフランスは、「至上主義」と言う自信がそれを支えていた。

時にはそれは「誇り」であって、現実とは違う事も多いけれど、文化の創造と言う意味でフランス人は古くから長けている国民であることは確かである。

芸術に優れているのも、感性を大切にするからであって、必ずしも成功するとはならないけれど、「トライ」精神は見習うものがある。

飛行機が実用化されたのは20世紀の初めで、まだ100年少々しか経っていないが、僅か10年後に勃発した第一次大戦は皮肉にも飛行機が大きく前進した時代でもあった。

大戦中、当事国となったフランス・イギリス・ドイツ・イタリアはこぞって航空機を開発し、戦況を左右するまでに至るのである。

飛行機の発達は、性能だけでなく「大量生産」と言う、20世紀になって現れた概念を伴う事になり、いかに安定した「製品」を作れるか、と言う「工業力」に左右されることになるのである。

フランスは他のヨーロッパ諸国と同じく、近世から世界にその勢力を広める「植民地政策」を推し進め、20世紀初めにはアフリカ・中東・アジアに植民地・直轄領を持ち、そこから多くの資源を本国に運ぶことで先進国になっていた。

また19世紀には科学分野で世界をリードしており、基盤はしっかりしていたのであった。

しかし第二次大戦になると、技術は社会や政治に大きく影響される時代になり、1929年に起こった「世界恐慌」に発端する不安は、先進国が集中するヨーロッパに暗雲をもたらすことになる。

各国は「保護主義」に傾き、自国の経済不振の理由を外国に求めた。

特に第一次大戦で敗戦国となり、1919年の「ベルサイユ条約」で多額の戦後賠償金を課されていたドイツは、国民の不満が日ごと高まっていた。

戦後20年以上経って、戦争責任を実感する国民が少なくなり、各地でデモやストライキが起きるようになると、ヒトラーが率いる「ナチス党」が政権を握り、極端な保護主義と全体主義に走るようになる。

戦勝国であったフランスは、18世紀からドイツと何度も戦火を交えていたが、戦後賠償で経済が疲弊しているドイツを「上から目線」で冷ややかに見ており、狂信的とも思えるナチスの国粋主義を真剣にとっていなかった。

しかしヨーロッパ東部では、大戦中に起きた革命によって樹立した史上初の社会主義国家「ソ連」がおり、30年代後半のヨーロッパは新しい秩序に変化していた。

だが取りあえず平和だったフランスは、その変化に興味を持たず、産業の発展は順調かつ緩やかであった。

39年にドイツは条約を一方的に破棄し、密かに禁じられていた兵器開発の準備が整う隣国ポーランドに攻め込み、第二次大戦が勃発した。

それでもフランスは「ドイツは攻めてこない」と言う、根拠のない安心感に浸って居続けた。

40年春、ドイツ軍は突如フランスとの国境を突破し、同時にベルギー・オランダの国境を越えると、瞬く間に2国を占領し、パリに向かって南下した。

当時フランス軍は兵力こそ大きかったものの、「平和ボケ」していて兵器はどれも時代遅れ、軍の統制は19世紀と変わらない体制が採られていた。

近代的な軍に変化したドイツ軍に、旧態然としたフランス軍は全て撃ち破られ、ヒトラーはフランスに無条件降伏を迫った。

フランス政府・軍には徹底抗戦と言う意見も強かったが、フランス軍は3軍とも殆ど国防の役には立っておらず、ヒトラーは受け入れなければパリを攻撃すると脅した。

パリこそフランス人の誇りであることを見抜かれたフランスは、無条件降伏を受け入れるとともにパリを「無防備都市」宣言して、開戦後僅か数ヶ月でヒトラーがパリの凱旋門を文字通り「凱旋」してしまったのであった。

当時フランス空軍には国産機の他、アメリカ製の機体も保有していたが、いずれも最新のドイツ空軍機に比べて時代遅れの物ばかりで、数も少なかった。

フランスには複数の航空機メーカーがあり、そこそこ開発をしていたが、世界の趨勢に反映した機体は何一つなかった。

「至上主義」が無意味な「楽観主義」と入れ替わり、単なる自己満足が結果的に「亡国」を招いたのであった。

ドイツはフランスの半分を占領し、パリには親ドイツの傀儡政権が擁立され、正式な政府は南フランスから最終的にはイギリスに渡り「亡命政府」を樹立した。

アメリカの参戦により、フランスでは亡命政府が指揮する「自由フランス軍」が組織され、米英軍と連合軍として反旗を翻した。

本国の航空機メーカーや兵器メーカーの工場は、ほとんどドイツに接収されていた。

30年に航空技術者マルセル・ブロッシュが創立したブロッシュ社(英語読み出はブロック)は、大戦直前に初の戦闘機「MB.150」シリーズを開発し、フランス空軍の主力機の一つであったが、性能は悪かった。

エンジンの過熱が問題となり、改良型が出来た頃にはフランスは占領されてしまい、ブロッシュ自身もナチスの収容所に連行されてしまった。

彼はフランス国内の収容所にいたため、44年末のパリ解放で自由の身となり、戦後再び航空機メーカーを興す。

ブロッシュと言う名はユダヤ系で、彼は辛うじて虐殺から逃れたものの、ヨーロッパにおけるユダヤ人差別はドイツだけではなかった。

その為戦中「レジスタンス」(抗独ゲリラ)で活躍していた時の偽名「ダッソー」をもらい、「マルセル・ダッソー」に改名した。

フランス語で「疾走する」を意味するこの名前は、戦後彼の設計機が正に相応しい物となったと同時に、教訓を経た「至上主義」をフランスが取り戻すことになったのである。

戦後間もなく「冷戦」時代に突入すると、フランスは二度と過ちを繰り返さないために独自の軍事スタンスを構築し、莫大な資金を投入して、核兵器保有国まで軍事を拡大させる。

この背後には「ダッソー」の技術が大きく関与しており、「ミラージュ」戦闘機は60年代以降、世界に名を轟かす存在になった。

ダッソー社はこの通り「ブロッシュ」の時代から軍用機メーカーであり、戦闘機など小型機専門であった。

フランスは各メーカーに予算と開発部門を振り分けており、それはソ連と似た部分があった。

ダッソー社は「ウーラガン」「ミステール」「ミラージュ」も他、「エタンダール」「シュペル・エタンダール」と、空海軍機を専門に開発・生産し続け、現在は複数部門を抱えるグループ企業になったが、専門はやはり小型機である。

ところが唯一「旅客機」を開発した事があることは、飛行機ファンの間でも意外と知られていない。

60年代に世界は完全な飛行機時代を迎え、旅客機は一斉にジェット化された。

世界で初めて実用化されたジェット旅客機はイギリスの「コメット」だったが、度重なる事故で失敗に終わり、その教訓を生かしたフランス初の国産ジェット旅客機「シュド・カラベル」は、逆に成功を収めた。

ジェット時代が確実になることを見極めて、後発したのがアメリカで、その直後に長距離機ボーイング707やダグラスDC−8が登場し更に近距離専用機としてボーイング737、ダグラスDC-9も登場する。

特にこの2機種はジェット時代を一気に拡大させ、初就航以来あっという間にセールスを伸ばしていた。

どちらも100〜130席級の小型旅客機で、国内線向けとして空の交通に革命を起こした機体であった。

カラベルも同規模の機体だったが、既に旧式化しており、50年代半ばに迎えたジェット旅客機時代は60年代後半に早くも世代交代の時期を迎えていたのである。

ジェット旅客機としてただ早いのではなく、エアラインに「利益」をもたらすことが重要になった。

それまでのジェット旅客機は「特別」なもので、乗客は高額なチケット代を払える富裕層に限られていた。

しかし「安く」利用できれば、乗客数は飛躍的に伸び、大きな利益をもたらす時代が到来したのだ。

鉄道やバスのように、気軽に利用でき、それでいて利益を生む機体こそエアラインには必要になったのである。

いわゆる「大量輸送時代」の到来であった。

「カラベル」は飛行機としてのセールスには成功したが、60年代後半には古く、運航コストが嵩み始めていた。

フランス政府は「カラベル」の生産を中止し、新たな小型旅客機の開発を計画。

「カラベル」を開発したシュド社は、合併して「アエロスパシアル」になり、超音速旅客機「コンコルド」のプロジェクトに参加していたため、意外にもダッソー社が新型機の開発に名乗りを挙げたのである。

フランス政府は、アメリカのB737/DC-9の成功を鑑みて、同規模の近距離用小型旅客機の開発をダッソー社に依頼し、費用のほとんどを負担する事になった。

これは国民から批判が上がったが、軍用機の屋台骨はダッソー社に頼るしかなく、専門外の民間機の開発依頼であれば止むを得ない部分もあったのである。

意外にもダッソー社の設計は順調に進み、71年に原型機が初飛行。「メルキュール」と名付けられ、翌年に先行量産機が作られ、2機体制でテスト飛行が続けられた。

幸いにも大きな問題はなく、主翼や尾翼を多少手直しするだけで終了した為、73年にはフランスの国内線専門のエアライン「エール・アンテール」(英語読みではエア・インター)が10機発注した。

しかし完成した「メルキュール」は、国民の失笑を買わずにはいられなかった。

「カラベル」は、システムこそ「コメット」を大いに参考にしていたが、世界初のリアエンジン方式、空力に優れ特許を取った「十字型尾翼」、スマートなスタイルなど、フランス国産機に相応しい独自の機体であった。

しかし完成した「メルキュール」は、どう見てもアメリカのボーイング737とそっくりで、飛行機に興味のない人であれば全く見分けがつかないほど似通っていた。

それは既に熟成された737を参考にして堅実な設計とも言えたが、あまりにもオリジナリティにかけており、どう見ても「パクリ」にしか見えなかった。

よく見れば737と微妙に違うのだが、太めの胴体に主翼は通常の低翼式で、エンジンは737と同じアメリカ製の「P&W JT-8D」ターボファンエンジンを吊るしていた。

737は設備の悪い地方空港でも運用できるように、脚を短くして高さを抑え、入口には収納式のエアステア(タラップ)を装備していたため、主翼に取り付けるエンジンと地上のクリアランス取りに苦労しており、パイロンを介さず主翼に一体化したように直接取りつけていたが、「メルキュール」は地上高を気にせず、エンジンはパイロンを介していた事と、主翼が737より大きいことで安定性を確保していることが、737と違っていた。

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     ↑エール・アンテールのメルキュール100(ウィキペディアフランス語版より)


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        ↑エア・ノース(カナダ)のB737-200(ウィキペディアより)

フランス政府とダッソー社は、ヨーロッパ域内専用機や旧植民地の途上国向けとして、「メルキュール」を1,500機以上の需要があると自信を持って見込んでいた。

アメリカ製より、納入時期・価格面ではヨーロッパ製の方が有利であり、アフリカ・中東・アジア諸国では「押し売り」もできる、と踏んでいた。

せっかくの教訓も、ここにきて再び「悪い病気」に代わりつつあった。

運表面では唯一737と違うのは、737-200に比べ胴体が若干長く、高密度仕様であれば最大150席を設けることができた事であった。

機内はオールエコノミーで3−3の6列座席で、これは737と同じだが,メルキュールは最初から「オーバーヘッドストウェッジ」(収納棚)が標準だったことぐらいだった。

737の初期型は開放式の「ハットラック」で、エンジンをパワーアップさせた「アドバンスド」でストウェッジが標準になった。

それ以外「ウリ」はなく、何よりメルキュールは737だけでなくDC-9のように、胴体延長型・航続距離延伸型・高バイパスエンジンへの換装と言った、将来を見越した計画と設計に、全く余裕を持たせていないことが致命的であった。

DC-9はすぐに胴体延長型を次々作り、737は加えて高バイパスエンジン換装型の「新世代737」計画が始動していた。

しかしメルキュールは「短距離旅客機」と言う縛りを信じすぎ、運航有効距離はたった1,000キロであった。

域内専用と言うスペックで満足していて、燃料タンクの増設や離着陸重量の増加は全く考えられていなかったのである。

ただでさえ「737のコピー」にしか見えないメルキュールは、国民はもちろんエアラインからの興味は一切惹かれなかった。

結果発注したエール・アンテールの10機で政府は開発援助を打ち切ることになり、同時に生産自体も中止されることになった。

既に大赤字のメルキュールだったが、セールスに粘っても赤字が増えるだけだったのだ。

結局原型機2機も、営業用に改修された後エール・アンテールが引き取り、全生産数は12機であった。

これは「生産」されたジェット旅客機で、最も生産数の少ない機種と言う記録になった。

画像
          ↑メルキュールのコクピット(ウィキペディアより)


エール・アンテールは54年に設立された準国営エアラインで、国営でフラッグキャリアのエール・フランスのフィーダー路線(地方への接続便)を専門に運航するエアラインとして、エール・フランスとフランス国鉄(SNCF)が共同出資して設立した。

当初は機材も持たず、エール・フランスからリースして運航していたが、60年代には初の自社導入機「カラベル」で独自路線の運航を始めた。

機材のセレクトがエポックメイキングなエアラインとして知られ、「エアバス」社初の機体「A300」や現在トップセールスを誇る「A330」「A320」を世界で初めて発注、運航したエアラインとしても知られる。

国営エアラインは年に何度もストライキすることで有名なフランスだが、エール・フランスがストライキしてもエール。アンテールは運航すると言った体制が採られており、90年代までに近距離国際線も運航してフランス人にはなじみ深いエアラインであった。

経営整理のため、95年にエール・フランスに吸収と言う形で姿を消したが、直前までメルキュールを運航していた。

商業的には恥をかくほど失敗作のメルキュールだったが、機体自体は非常に優れており、同社のパイロットからは「エール・アンテールの戦闘機」と言われるほど、公表であった。

これは重量増大などしなかったため、機体の大きさの割には軽量だったからで、加速性・上昇率は737に比べて遥かに良かったと言う。

それは同区間のフライトにおいて、時間短縮のファクターになり、737より利益率は高かったと言う。

あくまで1,000キロ以内・・という条件付きではあったが。

また非常に頑丈な機体で、73年に就航し95年に引退するまで、12機のメルキュールは事故を起こさなかった。

これは特筆すべき事項で、単一機種による無事故最大時間の記録も達成しているのだ。

画像
        ↑メルキュールの機内(ウィキペデイアフランス語版より)


もし解散にならなければ、エール・アンテールはもう数年メルキュールを使ったと言われるほど、同社はお気に入りで、大事に使っていたと言う。

失笑を買ったとはいえ、中古で売られることもなく、フランス以外のエアラインで飛んだこと、と言うよりエール・アSんテール以外で飛んだことがない珍しい機体であり、それが辛うじて「フランス機としての誇り」が意地らしくさえ思えてくる。

少なくともエール・アンテール自身は「国産機」と言う誇りを持って運行させていたに違いなく、メルキュールはそれに応えたと言えるのではないか。

私がフランス機が好きになったのは10代のころだが、当然メルキュールはまだ現役にあった。

何より大好きな「ミラージュ」を作ったダッソー社唯一の旅客機で、いつか乗ってみたい・・と言う夢を持っていた。

残念ながら夢は叶う事がなかったが、ダッソー社の飛行機に民間で唯一乗ることができたのは「メルキュール」だけである(ビジネスジェットはあるが)。

画像
      ↑エール・アンテールのメルキュール100(ウィキペディアより)


乗らなくとも一度実物を見て見たかった・・と、今でも思う。

以降フランスは独自の旅客機開発は止めて、国際共同の「エアバス」で成功している。

しかし「ダッソー・メルキュール」と言う、一目でフランス機と分かる洒落た名前の旅客機は二度と現れないであろう。





非常に湿度の高い夜で、梅雨らしい。

一気に梅雨明けし、残るは何故か九州南部と東北だけ。九州は間もなく梅雨明けするだろうが、東北はまだ気配がない。

週間予報でも曇りばかりで、早くとも平年並みと言う。

外を歩けば蒸し暑く、エアコンの効いたところにいると寒い。

こういうのがいちばん体調に響く。

動かなければなんともないのだが、歩くと汗ばんでくる。

ネットリ・・という言葉がピタリ来る夜だ。

そのせいか、今夜は体調が悪く、帰宅後倦怠感と眠気が強く、風呂場ではつい居眠りしてしまった。

最近「孤独死」を実感して困る。

一人でいる以上、入院でもしない限り「孤独死」は必至。

風呂場とかトイレの中では絶対死にたくないなあ、と思う。

今のところそこまで体調が悪いとは思っていないが、その時が来たらと思うと、つい考えて行動してしまう。

風呂場で居眠りは危険。気をつけよう。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

蒸し暑いですが、大丈夫ですか?

水分補給をきちんとして、体調管理に注意して下さい。

お仕事は忙しいですか?

無理をせず、時にはゆっくり休みのと、帰りに息抜きとしてお茶したり、食事を楽しんで下さい。

この後と時々、君とお茶した時を思い出します。

あれから10年近く経つのに、君と何を話したか、急に鮮明に思い出します。

とても楽しいひと時だったことを。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



生者(いけるもの) つひにも死ぬる ものにあらば 今ある間は 楽しくもあらな(万葉集巻三 349 大伴宿禰旅人)




☆今日のバス

395号車 00年式三菱ふそうニューエアロスター(MP717M) 泉営業所(元名古屋市交通局)


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