鉄道ネタ・スラントノーズのキハ183(1月10日 曇り時々雪 5℃)

再び冬将軍居座る。日本海側では、大雪。

北海道では暴風を伴う「ホワイトアウト」も発生した。

仙台は一日中曇り空で、時々パーッと雪が降ることを繰り返す。

積雪はないが、冷たい北風が吹いており、一番寒いパターンだ。

家の中も寒く、ホカホカ暖かい場所が恋しくなる。

年末からの寒さで、やむを得ず暖房器具を使っているが、意識してこまめに消すようにしているから部屋全体が温まりにくい。

外の建物の方が、よほど暖かい。

寒さは日本だけでなく、北半球全部のようで、被害が深刻なのはアメリカ。

北部だけでなく、常夏のフロリダ州では30年振りに雪が降り、湿原が凍ってワニが凍死したとか…。

大西洋沿岸でも、海水温が下がり、ゾウガメが大量に「気絶」すると言う珍現象も。

日本はそこまで酷くないのが救いかも知れない。

例年より雪が多い北海道旭川市の旭山動物園では、大雪に辟易しているかと思えば、むしろ歓迎しているそう。

冬の名物、「ペンギンのお散歩」が人気。

動物園によれば、毎日新しい雪が積もるので、ペンギン達の足に負担がかからなくて良いそうだ。


来月開かれる冬期オリンピック「平昌オリンピック」に向けて、韓国は必死。

米朝戦争が囁かれる中、「南北対話」の一環として北朝鮮がオリンピックに参加するよう要請。

同時に文大統領は、アメリカ・トランプ大統領と電話会談を行い「オリンピック開催中の開戦はない。」と確約させた。

また慰安婦問題については「合意を破棄する事は出来ない。」としながらも、「日本の正しい歴史認識と謝罪は必要。」とコメントした。

合意問題については、日本側が強い拒絶反応を示したことでトーンを落としたが、相変わらず「風見鶏」政策に終始している。

せめてオリンピック期間中だけは・・と言う気持ちはわからなくもないが、北朝鮮に口実を与えるだけだ。

「オリンピックを機に、南北対談が復活するかも知れない。」と言うが、だいたい北朝鮮をどう信用できるのか、根拠を示して頂きたい。

確かにオリンピック中に戦争はないだろうが、ミサイル発射や核実験を行わない保証はない。

文大統領も酷い政治家で、行動・主張に一貫性がない。

主張はむちゃくちゃで、根拠がない。

この国民はどうしたいのか、さっぱりわからず、世界から失笑されていることにまだ気づかないとでもいうのであろうか。

その場しのぎなのは、祖先の新羅そのままで、変わらないものなのかと思う。

古代新羅は「カメレオン外交」で生き延び、滅び、どさくさに紛れて復活した。

先見的な外交ではなく、今さえ良ければ的なやり方である。

結果事が済むと、それまでの味方が敵となり、今度はかつての敵と手を結ぶと言う「他力本願」ばかり。

すなわち「自分は自分」と言う、一定の主張と自信がない。

もうニュースにするのも止めた方が・・・関心がないと言う事を、教えても良い様な気がする。



鉄道ネタ。

北海道で発足された任意団体「北海道鉄道観光資源研究会」は、この新年から間もなく廃止される「キハ183」形を保存するため、インターネット募金「クラウドファンディング」を開始した。

機関は3月31日までで、目標金額は610万円。

第二目標額を1,100万円とし、達成された場合は2輌のキハ183型を保存する。

今年開設予定の安平町の「道の駅あびら」に展示・保存予定だが、期間内に目標額に達しなかった場合はプロジェクトを中止する。

研究会ではこの方式で、引退した711系電車の保存に成功しており、キハ183は「国鉄色」に変えて保存したいと言う。

「キハ183系」は、79年にデビューした北海道専用の特急型気動車。

それまでは全国標準の「キハ80系」が使われていたが、北海道の厳しい冬の運用への対策は施されておらず、故障による運休・遅延が日常的になっていた。

それらを踏まえ、当時の国鉄が初めて地域限定の特急型気動車183系を開発。

雪・低温・氷に対する充分な対策を講じた車輛となり、以後標準となって大量生産された。

当時の国鉄としては珍しく、試作編成を製作して実際に営業運転を行って。充分なデータを集めて量産に移った形式である。

長期に渡って製造・運用された為、多くの派生形・エンジンを換装した改造型が、現在まで残っている。

キハ183型は、最初の量産型の先頭車両で、高運転台と直線を基本としたスタイルが特徴で「スラントノーズ」と呼ばれる。

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     ↑「国鉄色」のキハ183(ウィキペディアより)



その後の量産車では、編成の分割・併合しやすい貫通型になったため、「スラントノーズ」のキハ183は基本番代だけである。

その多くは経年化と、先頭車に限定されることから既に廃車となり、現在は5輌を残すのみ。

札幌~網走間の「オホーツク」、旭川~網走間の「大雪」、臨時特急「旭山動物園号」に限定運用されるだけとなっている。

JR北海道は、3月17日に予定しているダイヤ改正で、大幅な車両整理を計画。

現在札幌~函館間を走る「スーパー北斗」がキハ281系、キハ261系1000番代、「北斗」が183系で運転されているが、ダイヤ改正で全て「スーパー北斗」に切り替え、余剰となる183系を「オホーツク」「大雪」「旭山動物園号」に転用する。

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       ↑261系1000番代の「スーパー北斗」(ウィキペデイアより)



こちらは車齢が若く、エンジンなども換装済みの車輛の為、当分の間運用が予定されている。

代わりにスラントノーズ車を含む基本番代車は、今年度でほぼ淘汰される見込み。

最後に残った車輛は、いずれも改装を受けた200番代だが、外観はほぼオリジナルを保っている。


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     ↑キハ183‐200を先頭にした現行の「オホーツク」(ウィキペディアより)


183系が登場した79~80年頃の北海道の鉄道は、本州以南と比べて差別されていた。

国鉄と言う体質から、車輛は「統一仕様」が基本であり、地域に合わせた車輛は殆ど開発されなかった。

既存の車両をベースに、若干の改修を施した程度で、本格的な北海道用車輛は少なかった。

70年代前半に、小樽~旭川間が初めて電化され、ようやく耐寒設備を持った711系交流電車が投入されたが、特急用は既存の485形を手直ししただけのものが、初の電車特急「いしかり」に投入された。

しかし最初の冬で、半数以上の車輛が寒さと雪・氷で故障し、1/3の列車が計画運休や711系による代走を強いられた。

国鉄では711系自体が「特別」なもの、としていたが、ちょうど労使闘争が激しく、国民から顰蹙を買っていた時代で、急きょ711形をベースとした781系特急型電車を開発。

183系のデビュー前年に、営業運転開始させている。

183系は、道内が最も望んでいた車両であった。

781系は電車であり、道内は函館本線と、その後室蘭本線・千歳線が電化されただけで、現在まで大半が非電化のままだ。

80系気動車は、まだ電化の進んでいない地方に特急を走らせることになった貢献者ではあるが、既に老朽化も激しく、冬期の故障は深刻であった。

北海道は冬になると、自動車通行が難しく、旅行やビジネスで鉄道を使う人の割合が多い。

高速道路も本州以南に比べると未開発で、一般道を走らなくてはならない。

除雪体制は万全ではあるが、時間がかかるうえ危険を伴う。

特に釧路・帯広・網走と言った中核都市へは、ビジネス需要も多く、飛行機も冬は運休しやすいので鉄道が絶対的信頼を得ていた。

しかし80系は古いだけでなく、厳しい条件で使われていた為、他地域では見られない独特の消耗も日常的であった。

現場の涙ぐましい努力で何とか運転していたものの、ハード面での消耗はいかんともしがたく、晩年には運休も相次いだ。

そこの万全の期待をになった183系登場は、新聞・テレビでも大々的に報道された。

当初は数が少なかったため、乗客は183系の列車を選んで乗ることも多かった。

私が北海道に行き始めた82年以降は、既に気動車特急の半数以上が183系に置き換えられており、JR化直前には80系は引退した。

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     ↑エンジンを換装したキハ183-4550を使用した「北斗」(ウィキペディアより)


10年ほど前からJR比オッ街道は、気動車特急のスピードアップ化を計り、振り子型気動車281・283・261系と新型車両を続々と投入し、既存の183系も大幅なパワーアップを主体とする大改造を行った。

それにより道内の気動車特急は、130キロ運転が実現し、狭軌の気動車特急としては世界最速運転を誇った。

しかし整備不良、無理なパワーアップ、現場の意思疎通不足が露呈し、火災事故を頻発させ、高速運転を取りやめたことは記憶に新しい。

改良はされど、基本設計は70年代であり、これまで現役で走ってきたのは奇跡的とも言える。

それだけ基本番代の作りが優れていた、という証拠なのだが、肝心の運用側の意識欠如で、183系は不名誉も背負う事になってしまった。

基本番代車は、大幅なパワーアップ改造は受けていないため、事故が頻発した時運用停止対象にはならずに済んだ。

車両不足になり、予備車まで引っ張り出され、老体にムチ打つかのように穴埋めに走り続けた。

スラントノーズのキハ183は、他に例のないスタイルがデビュー当初から人気だった。

現在の281・283・261系も高運転台を採用しているが、現代風に流線型。

カクッとした鋭角的なデザインは、今は殆ど見られない、むしろ新鮮さを感じる。


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     ↑スラントノーズのキハ183を使用した「旭山動物園号」(ウィキペディアより)


私が初めて183系に乗ったのは「おおぞら」で、1往復だけの函館発に183系が投入されていた。

デビュー時の試作編成も、この列車に充当された。

手元には「鉄道ジャーナル 79年5月号」が残してあるが、まさにこの列車のルポが特集されている。

デビュー時、石勝線はまだ開通しておらず、函館~札幌~滝川~富良野~釧路と言う、実にダイナミックな行程を辿る、いかにも北海道らしい列車であった。

私が乗車したのは確か83年の正月で、この時は石勝線経由になっていた。

それでも10時間かかる、気の遠くなるような列車であり、正直飽きた記憶がある。

面白いのは札幌を経由するため、千歳空港(当時)~札幌間は往復する事である。

道都札幌を経由しない訳には行かないので、往復70キロ以上を行ったり来たりする列車であった。

その為函館方面から乗っていると、千歳空港から勘違いした乗客がよく乗って来る。

彼らは千歳空港から,帯広・釧路方面に向かう乗客で「おおぞら」の指定席券を持っている。

この列車が、無駄に千歳空港と札幌を往復するのを知らない乗客が、先に乗ってしまうのである。

すると自分の席に座っている人がおり「すみません、ここ私の席なんですが・・。」となってしまう。

しかし先客もちゃんと札幌までの指定席券を持っており、知らない者同士だと「ダブルブッキングか?」と首を傾げることになる。

例え空いていたとしても、約1時間後に再び千歳空港駅に停車するので、誤乗したかとドキリとすることになる。

この列車は、当時「鉄道トリビア」などでよく書かれていた。

もちろん件の乗客は千歳空港から帯広・釧路方面の乗車券を持っているので、例え知らずに乗ってしまうと、千歳空港~札幌間の往復分は「無礼乗車」、すなわちキセルになる。

「戻ってきたおおぞら」にしか、乗る資格がない。

だが周知が徹底できず、つい誤乗した乗客については追加運賃を取ることは少なかった様だ。

代わりに千歳空港に戻るまで、自由席に座るかデッキで立って待つことになる。

通しの乗客についても特例措置があり、運賃や特急料金は千歳空港~札幌間の「片道分」で計算された。

183系はこの時も人気で、同じ「おおぞら」でも80系の列車は空いていて183系は満席、と言う事はよくあったと言う。



40年近くに渡って北の大地を走り続けてきたスラントノーズ。

できることなら無事故で有終の美を飾って欲しいし、保存するに越したことはない。

できることなら「動態保存」で、年に数回イベント列車などで走らせてもらえば良いのだけど、経営危機のJRにその余裕はあるまい。





夜に雪は止んで、いつの間にか星が見えていた。

風は無くホッとするが、その分放射冷却でキンキンに冷えて来た。

0時で仙台は氷点下1℃となっていたから、泉では氷点下3℃ぐらいにはなっているだろう。

バスを待つ間でさえ、寒さが気になって落ち着かない程。

暖房費が気になるが、我慢して体調を崩すよりマシかと帰宅後暖房器具に火を入れた。

街も寒さで、皆早帰り。

22時には閑散としていた。




元気ですか?

今日は良い1日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

厳しい寒さがやってきました。

寒さは大丈夫ですか?

インフルエンザが再び流行し始めているようです。

うがい・手洗いはもちろん、適度の水分補給も気をつけて、暖かくして過ごして下さい。

特に君は人と接する仕事でしょうから、充分注意して下さい。

そして帰りには、君の大好きな熱くて甘いココアを飲んで下さい。


明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



あはずとも 吾はうらみじ この枕 吾と思ひて まきてさ寝ませ(万葉集巻十一 2629 物に寄せて思を陳ぶ)



☆今日のバス

423号車 99年式日野ブルーリボン(HU2MMCA) 泉営業所(元名古屋市交通局)

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